「骨を骨折する」は不適切かどうか

そもそも「罪」と「犯罪」はどう違うのでしょう。「罪」を新潮現代国語辞典2版はまず「してはならない行為・行動」と定義します。そのうえで「犯罪」「悪い行為に対する責任」などの細かい意味を加えた上で「牢屋ろうやにいれられる事だけが罪ぢやないんだ」という太宰治『人間失格』の例を挙げます。罪のほうが犯罪より広い概念と理解できます。

では「犯罪を犯す」でいいのか。明鏡国語辞典3版の「重言のいろいろ」では、「『~ヲ』に〈動作・作用の結果に生じたもの〉がくる、結果目的語の適切な用法であるもの」という分類に、「歌を歌う」などと並べて「犯罪を犯す」も挙げており、「犯罪を犯す」を「適切」とする立場です。実際、「犯罪」の項にも「犯罪を犯す」という用例を示しています。

言語学者、山田敏弘さんの『その一言が余計です。 日本語の「正しさ」を問う』(ちくま新書、2013年)には「さまざまな重言」という項があります。「犯罪を犯す」はありませんが、次のリストが示されていますので不適切と思われるかどうか考えてみてください。

(1)馬から落馬する。
(2)足の骨を骨折する。
(3)彼の言ったことに違和感を感じた。
(4)山中教授がノーベル賞を受賞した。
(5)まず最初に、……。また、次に、……。そして、最後に、……。
(6)自動車から排出される排気ガス量を測定する。
(7)子どもたちが、小学校から下校する。

冗長さの問題

著者の山田さんは「答え」を示しません。その代わりにこう記します。「『違和感』と『感じる』には、同じ発音の同じ漢字が使われていますから、奇異に感じる人も少なくないでしょう」

山田さんは続けます。「しかし、これとて、最近さまざまな『ことばとがめ』の類書に書いてあったから変だと思っているにすぎないのではないでしょうか。なぜならば、同じように『賞』を二回含む(4)に、違和感を持つなどということはまれだからです」「ここから、同じ読みの漢字だからだめということではなく、気にしているからだめということがわかります」

確かに、日本語の「正しさ」からではなく「だめという人がいる」から直すという場合は少なくない気がします。

新聞の場合、「スペースが限られるから、なくても済む語は省く」ということが重言を避ける理屈づけとされることが多いようです。ただその根拠も、ウェブ向けの記事が大量になってきた現在では揺らいでいると言えるかもしれません。しかし、字数制限が緩やかになっても冗長な文章は避けるべきだというのは不動の心得でしょう。