早期退職や定年を控える中高年は会社にとどまるべきか、独立すべきか。還暦を迎えたプロレスラーの蝶野正洋さんは「プロレス界では、ここ止まりかなと思っていた選手が起死回生のイメチェンや言動で、いきなり輝きだすことがある。同じように誰もが経営者に憧れるが、会社に踏みとどまって、有意義な仕事をやらせてもらえるようアピールし続けたら、絶対またチャンスが来るはずだ」という――。

※本稿は、蝶野正洋『「肩書がなくなった自分」をどう生きるか』(春陽堂書店)の一部を再編集したものです。

玄関で革靴を履くビジネスマン
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それでもあなたは経営者になりたいか

30代、40代というのは常に山あり谷ありで、仕事でもプライベートでも成功と失敗とか、出世と左遷とか運・不運をパタパタ、パタパタと繰り返す人が多いと思う。しかし、俺のように60代に入ってくると健康でさえあればラッキーとなる。まして、ちゃんとした給料が入ってくる会社であればね。

人生100年時代だけに後半生で起業を考えている人も多いと思うが、個人経営となると、いつ金が入ってくるかわからない。人生の中でそこまで体も心も削りながらやる必要が果たしてあるのか。それは慎重に考えたほうがいいと俺は切実に思う。

自分の経験だけじゃないんだ。

資金繰りひとつ考えても眠れない日が続くなんて当たり前のように起こる。経営者としてのプレッシャーは想像をはるかに超える。結局、橋本選手も三沢光晴選手もそういうことも原因のひとつで亡くなったのかなと俺は感じるんだ。

俺も今なら、一番大切なのは首をはじめとするけがの治療だとわかっている。だけど、一歩間違えば経営者の業務に追われて治療の時間がとれないまま、試合の合間に必死に営業していたかもしれない。あの2人はその典型だったと思う。

だからこそ俺はすごいショックだった。2人が亡くなったとき、次に俺、武藤さんがいつ死ぬんだろうとかまで考え込んでしまったよ。

みんなは、業界ナンバーワンのレスラー・三沢選手が亡くなったことがショックだったと思うけど、俺も思いは同じで「三沢社長が……」と。ノアの経営状況も聞いていたし、テレビ局との契約も切れ、いよいよ人員削減もしなきゃいけない、お客さんも思うように入っていないという状況を知っていたうえでの、突然の訃報だったからね。

俺も、その当時は新日本プロレスの現場監督をやりながら、自分の会社も経営していた。そうなると、もう眠れないわけだよね。しかも、自分の金を会社につぎ込んで……ということをやっている立場だったから。

橋本選手も同じような状況だったと思う。

団体の経営は最初からおかしかったみたいだけど、そこから団体内でクーデターがあって、橋本選手は2、3年で追い出される形になった。体調もものすごく悪い。そしてそのまま亡くなってしまった。

これもやっぱり独立したストレス、経営者のストレスだと俺は思っている。だからこそ、2人の最期を知って「これは俺も無理だな」と悟った。会社を2つ切り盛りして、プラスでタレント業務もやっていたから、自分自身の行く末を思うと本当に怖かった。