1000円カットでは得られないサービスがある
ニュー東京には若い客が増えてきたとはいえ、主流は年配の客である。それも川淵キャプテンのように50年近く通っている顧客たちだ。
それほど長く通っている客に対しても、彼女たちは「どうしますか? ちょっと長めにしてみませんか?」と毎回、提案をする。提案して、そして答えを引き出していく。
なかには、ほぼ毛髪というものが存在しない顧客だっている。毛髪の少ない客に対しても、「サイドを長めにしませんか?」と提案する。てっぺんは少なくとも、サイドには毛髪が存在しているパーセンテージが高いからである。
客は髪の毛を切ってもらうだけでは満足しない。小一時間の間、話を聞いてもらいたいし、世話を焼いてもらいたい。そして、毛髪がなくても「あら、カッコよくなりましたね」と言ってもらいたい。
ニュー東京にあるのはそういうサービスだ。
純ちゃん(わたしは小山さんと呼ぶけど)に聞いたことがある。
「床屋さんって儲かるんですか?」
彼女は断言した。
「昔は儲かりました。今はダメ。昔、景気がいい時、うちは3年に一度は内装を変えてましたよ。ユニフォームも毎年、変えてました。ミニスカートはもうずいぶん前にやめたんですけどね」
「1000円床屋」の隆盛におびえたこともある。コロナ禍で絶望に近い想いを味わったこともある。
今日も「丸の内の男」が店を訪れる
純ちゃんの私生活は決して順風満帆ではなかったが、今では良き夫、子ども、孫がいる。先生方は6人もいる。川淵キャプテンを始めとする純情な客たちがいる。人に恵まれている。
それが幸せってもんじゃないだろうか。
「はい、そう思います。うちには丸の内の会社を退職した後も、他県からいらっしゃる方、多いんです。奥さんとか娘さんが付き添いでいらして『もう絶対、他の店には行きたくない』っておっしゃる。
うちがいいのもあるでしょうけど、やっぱりみなさん、丸の内にお勤めしてたことに恋しさがあるんでしょうね」
なるほど。
「オレは丸の内で働いてたんだ。丸の内以外の床屋なんかに死んでも行くもんか。そういうことですね」とわたし。
純ちゃんは「はい」と言って腕を組んだ。
「たぶん、そういうことだと思いますね」