その当時は「お見合いの場」だった

ただし、ミニスカート着用の威力は大きかった。客は美脚を眺めようというきっかけで来店するのだが、調髪の間の何げない会話でふと恋心を抱いてしまう。時代は1970年代である。景気は悪くない。仕事は忙しく、デートをする時間もままならない。何より、女子との出会いが少ない。

ニュー東京の先生たちは丸の内近辺に勤める独身の男子ビジネスパーソンにとっては花嫁候補だったのである。初回はミニスカートの観賞にやってきた客も、二度目からは交際相手を探すことに目的を変えた。

髪の毛を切ってくれたり、優しくシャンプーやマッサージをしてもらったら、純情な独身男性は家庭生活でも同じことをやってもらえるのではないかという妄想を抱く。現実には誰と結婚しようとも、「夫にやさしくシャンプーやマッサージをする妻」は地球上にはひとりもいない。

それでも男子は一般に利口ではないから「ひょっとしたら」と無意識にバイアスをかけて考えてしまう。

何度も通ってくるようになった客はいつからか美脚の先生よりも、優しく微笑む先生を指名するようになる。そうして、食事に誘い、いつの間にかゴールイン。

ニュー東京の1970年代は出会いの場、お見合いの場にもなっていったのだった。ニュー東京で出会った、先生とお客さんのカップルは10組以上になる。

「ニュー東京」の店内
撮影=プレジデントオンライン編集部
「ニュー東京」の店内

ニュー東京は何が新しかったのか

さて、開店早々から繁盛したニュー東京では、サービスの充実に力を入れた。理髪だけでなく、美顔、マニキュアといった紳士向け美容サービスを強化していったのである。

レブロン化粧品の美容部員に来てもらい、顔パックや爪の手入れの講習を受けた。サービスメニューを増やし、客ひとりあたりの単価を上げていく。純ちゃんは15歳から理容師として腕一本で生きてきたが、経営の才能もちゃんと持っていたのだった。

彼女がニュー東京の経営で行ったことは経営学者、ピーター・ドラッカーが説く「顧客の創造」だ。理容師にミニスカートをはかせて、美脚を愛する客を誘導した。次に結婚相手を探す純情な独身男性という顧客を創造した。最後に、調髪以外のサービスメニューを開発して新しい顧客を引き寄せた。ハーバード・ビジネス・スクールのケーススタディにしてもいいような実例がニュー東京の経営といえよう。

新宿住友ビルに新店を出し、2店舗の社長兼理容師となった純ちゃんは働いた。朝8時には有楽町のニュー東京に出勤し、時には新宿の店も見回る。新国際ビルの地下に入っていた料理店と喫茶店が撤退したので、引き継いで、熊本料理店「あづま」を出した。喫茶店も併せて経営することにした。

社長業が忙しくなったこともあって、理容師こそ引退せざるを得なくなったが、空いた時間はニュー東京の掃除をやり、あづまでは皿洗いをやった。

毎日、午後10時まで働いて、働いて、働いた。働きづめの職業人生である。