短く強い言葉でベクトル合わせ

「君子欲訥於言而敏於行」(君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す)――徳が高く品位のある人は、口べたであっていいから、行動において俊敏でありたいと願う、との意味だ。『論語』にある言葉で、多くを語るが行動を伴わない人間よりは、言葉は少なくても変化に機敏に対応する人間こそが指導者だ、と説く。あまり多くは語らず、成果も自慢せず、社内の「思い」を1つにしていくことに専念する筒井流は、この「訥言敏行」に通じる。

1954年1月、神戸市の阪神沿線に生まれる。父は工場勤め、母は専業主婦で、男ばかり5人兄弟の末っ子。親には放っておかれ、兄たちには始終いじめられたことで、むしろ逞しく育つ。77年春に京大経済学部を卒業して入社、大阪本店にあった企業保険業務課に配属される。企業向けの団体保険や年金などを統括する企業営業の司令塔で、3年いて、営業計画の原案を書いた。立案し、書き上げる作業は好きで、自分に向いた仕事だ。当時から、言葉選びに凝った。上司に削られても、削られる前の案をそのまま出したりしたが、叱られた覚えはあまりない。

筑波大学の大学院へ派遣され、修士課程を終えた後、東京の調査一課へ戻る。監督官庁だった大蔵省銀行局保険部とやりとりする仕事で、いわゆる「MOF担」だ。自社の社長が業界団体の長になれば、その原稿の下書きもしたし、生保関係の法令に縁がある政治家を回り、情報収集もした。その後、大阪で広報室の課長代理、東京で社長の秘書役も歴任し、様々な人脈が広がっていく。

2011年3月、社長に就任し、「真に最大・最優、信頼度抜群の生命保険会社に成る」との旗印を掲げた。具体的な目標として、サービスの拡充、健全性の強化、人財の育成の3点を挙げる。それらの言葉に、その前の約6年間に経験した苦難の年月が、色濃く反映している。

同業他社や損害保険業界で、保険金の不払い事件が表面化したのが2005年春。単なる過失ではなく、決算内容をよくみせるための不当な措置だと判明し、生損保の全社で点検が始まる。その結果、日本生命でも不払いがみつかり、翌年夏に金融庁から業務改善命令を受けた。そこから、あらゆる業務を洗い直し、すべての分野を「お客の視点」で見直すプロジェクトが動き出す。

ただ、後ろ向きな策だけでは、全社のベクトルが前へと向かわない。過去を検証し、問題点を浮かび上がらせ、それらの改善のために、全社の知恵と意欲を結集する。その間、経営戦略の司令塔である総合企画部の部長と担当役員を務め続ける。ここでも、多弁よりは行動、「訥言敏行」だ。その取り組みが、この4月にスタートさせた「みらい創造プロジェクト」へと結実する。

国際展開への布石も、着々と打った。戦略担当役員として、海外の有力金融機関の経営陣と交流し、そこから米プルデンシャルや独アリアンツ、あるいは米国の専門医紹介サービス会社と、提携が生まれた。

旗印で「なる」ではなく「成る」と漢字で表わしたのは、自分の選択だ。「必ず成功させる」との強い思いが、表れたのか。言葉の力は、大きい。どういうトーンで語り、どう熱意を表すかも大切だ。その意味では、言葉がすべてだ、とさえ思う。

トップに立つ人間こそ、発信力の源泉として、言葉選びをおろそかにしてはいけない。これには、こだわり続けていくつもりだ。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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