ジャニーズ事務所のジャニー喜多川元社長による所属タレントへの性加害問題が明るみに出たのは、1988年刊行の書籍『光GENJIへ』(データハウス)がきっかけだった。ノンフィクション作家の本橋信宏さんは「私は元フォーリーブス北公次氏の暴露本『光GENJIへ』のゴーストライターだった。彼は当時からジャニー喜多川元社長からの性被害を訴えていた」という――。
※本稿は、本橋信宏『僕とジャニーズ』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。
「ほんとはあったんだよ。おれとジャニーさんには」
浅草ビューホテルの部屋で北公次の回想のつづきを聞く。部屋には北公次だけだった。
4日目のときだった。サングラスを外した元アイドルは思い詰めた顔つきだった。
もしかしたら、あまりにも話しすぎてしまったために、今までの話はなかったことにしてくれとでも言い出すのだろうか。
「これまでの話はすごく惹かれましたよ」
沈黙を振り払うように私が話すと、北公次は意外な言葉を吐き出した。
「謝らなくちゃいけない。おれは、ひとつだけ噓をついたんだ。ジャニーさんとのことは……実はあったんだ。これだけは死ぬまで言わないつもりだったけど、別れた女房にも言わなかったことだけど……ほんとはあったんだよ。おれとジャニーさんには」
「おれとジャニーさんは恋人…いや、夫婦だった」
まさか北公次本人から打ち明けてくるとは思わなかった。
「昨日、村西さんから電話が入ってさ、いろんなこと話したんだよ。あの人も本気でおれのことを応援してくれてる。だからこっちも誠実にならないといけないと思ったんだ」
いったい村西とおるはいかなる説得を試みたのか。
応酬話法という、セールスマンが商品を売るときの必須テクニックがある。村西とおるはこの話法に磨きをかけ、どんな商品でも売ってみせる、という奇跡の話法に仕上げた。
北公次は事務所の社長と4年半にわたり同棲していたと告白した。芸名の北公次は社長の名字の「喜多川」からとったものだとも打ち明けた。
北公次は吐き捨てるように打ち明けた。
「おれとジャニーさんは恋人……いや、夫婦だった」