インドの労働争議は自然発火のようなもの

ヘンリー・フォードがT型フォードの量産を始めたのは1908年。以来100年強、自動車産業にとって主戦場は、米国を中心とする先進国だった。特に70年代以降、米国市場での日米自動車摩擦といった攻防が続いたが、09年にゼネラル・モーターズ(GM)が破綻。

「日本が勝つ形で決着がつきました。特に97年の京都議定書以降で、同年発売のトヨタ・プリウスなど、エコカーで日本は米国を圧倒した」(土屋教授)

10年以降は、主戦場が新興国へと移った。新興国市場は「インドやタイは小さな車が受ける」(鈴木修会長)一方、「中国沿岸部の富裕層は、見栄の文化を反映し高級車を好む」(土屋教授)と、単純ではないが、全体としては小さくて低燃費、そして安価な車が中心となる。

円高や貿易自由化の遅れ、電力不足など国内の「六重苦」に直面する日本メーカー。海外では、12年7月、スズキのインド子会社であるマルチ・スズキのマネサール工場で大規模な暴動が発生した。

「こんなときに、経営者はシュンとしてはいけない。俺は大変なときこそ、ファイトが湧いてくる」と鈴木修は腕まくりをする。そのうえで、「日本でも、終戦から本格的に経済成長していく60年までの15年間は、激しい労働争議が各社で起きるなど、混沌としていた。インドなどの新興国でも一緒です。経済成長に伴い、『働くけれど、金もくれ』と要求する人が増えていく。(今回の暴動は)近代国家に生まれ変わるときに、どこの国でも起こる“自然発火”のようなもの」と鈴木修は言う。