支社長になる前、私は有価証券部の課長だった。当時の保険会社は、営業戦略の一つとして、企業に保険商品を売り込む際にその企業の株を買うことがあったが、ちょうど時代はバブル期で多くの企業の株がどんどん値上がりしていた頃である。しかし、何でもかんでも買えばいいというものではない。話を持ち込む関係部署との折衝でも、あっさり断ることがあった。
そんな私に対して、ひょんなことから「あの課長はぶっきらぼうで断り方が冷たかった」「あの男はどうも堅物だ」「もう少し、性格が丸くならなければダメだ」といった評判が耳に入ってきた。そんなこともあり、「もっと現場の話を真摯に聞かなければやっていけない」ことを痛感していた。
だからこそ、『菜根譚』の言葉が心に強く響いたのだろう。以後、いつも胸の中に大切にしまい、忘れることはなかった。
そして、95年に徳島支社長になったときのこと。赴任して初めての支部長会議の席で、自分への戒めとしての「逆耳払心」に触れたうえで、「だから、私にとって耳の痛いようなこともどんどん言ってほしい」と伝えた。
すると翌日、支社で最も信望のある支部長から「私の思いの丈を話したい」と話があり、その夜、これまでの支社のやり方、会社の制度など、5時間くらい延々と話を聞くことになった。そして、他の支部長もいろいろと意見を言ってくるようになった。
その後、徳島支社を離れてから当時のスタッフと話す機会があったが、私自身が思った以上に、私が赴任時にした話を覚えていてくれた。意見を聞くと宣言した私自身が、本当にそれを実践するのかどうかも常に見ていたと言われた。
お客さまの苦情も支社長として自ら聞きにいった。長時間、お叱りを受けることも多々あったが、話を聞いていると、住友生命という会社を非常に大切にしてくれていることがわかり、逆に強い信頼関係が築かれたこともあった。