「扶養義務」と引き換えに家庭という密室で抑えられる母子
「扶養」と引き換えに管理権を委託された「世帯主」の父や、父や世間の意向に沿うため、子どもを懸命に「しつけ」ようとする母の姿が、背景に見え隠れする。家庭という密室では、これを止める監視者はいない。経済的な貧富と関係なく、それらが少女たちを抑えつける。それでも、外には安心して出ていける場所がない。だから、そこにいるしかなかった。
そんななかで家庭を脱出してきた女性たちには、まず、好きなだけ寝続けてもらうという。「自分がしたいように生きていい」という安心が戻ってくると、入居している個室のカーテン選びや好きな絵を飾るなど、自分の居場所づくりを楽しむ気持ちも芽生えてくる。そこで、本来の力がよみがえってくる。
「家族任せ」の仕組みが、公的な支えの場を削り取っていく
別の職員は言う。
「とりあえず困った時におカネを稼ぐ方法は、みな結構知っている。SNSなどで性売買などの情報はあふれ、家出して街で出逢った男性と同居し、稼ぐよう強要されることも知っている。ただ、手に入れたカネで買うモノに、ヒトがどう関わっているかは知らない。それを繰り返す中で、カネさえあれば何でも手に入るという『認知の歪み』が生まれてしまう。それが人への思いやりや想像力の欠如につながってしまうかもしれない。暮らしを作り出すことは、そうした認知の歪みを修正していくことでもある」
「世帯主主義」は、2つの暴力を少女たちに強いた。「扶養」を任された「世帯主」による直接的な暴力と、そこからの救済を求める少女たちを受けとめる公的な支えの場を削いでいくという間接的な暴力だ。コロナ禍で強化されたNPOによる発信や相談会が、そうした少女たちに踏み出す力を与え、見えなかった暴力を白日の下にさらした。