声援でかき消された仙台育英のかけ声

慶應優位に進めていた5回、見たくなかった景色がそこに広がっていました。

大応援団からの声援で掛け声がかき消された上での落球による失点でした(テレビでは明らかにそう見えました)。無論攻撃側の慶應は、そこで「若き血」の大合唱。相手チームの失敗は、味方チームの得点に結びつくのがスポーツです。純粋に慶應に点が入ったことを喜ぶのは当然ですが、私にはそこで「高校生のしくじりを無邪気にビールを飲みながら喜ぶオトナたち」の姿が浮かび、胸が苦しくなってしまったのです。

陽気な群衆のシルエット
写真=iStock.com/Nosyrevy
※写真はイメージです

泣けてきてしまいました。

勿論そのせいで仙台育英が負けたなんて思ってもいません。そう思ったとしたらそれこそ仙台育英に対してとても失礼です。

「なんでこんなに、自分は『若き血』という曲を聴くと複雑な気持ちになるのだろう」。

思い出が徐々にプレイバックされてきました。

サークルで徹底的に教えられた「若き血」

断っておきますが、私は「若き血」が好きです。

この応援歌は、1年生がその居場所を求めた先のサークルでの先輩方から徹底的に覚えさせられます。当時は絶対的体育会系的サークルの「落語研究会」でした。

「1年アメーバ、2年虫けら、3年人間、4年天皇、OB神様」という上下関係の結束の下、落研の1年生は「若き血」と他校の校歌に当たる「塾歌」を覚えて春の早慶戦は「神宮球場左中間鉄塔下」に集合したものでした。そこでピンチの時のチャンスの時も「若き血」を熱唱し、応援に訪れたOB各位と肩を組んで歌ったものでした。

歌い終わりが「陸の王者、慶應」という、エンディングにならずに延々と歌われる曲調は確かに前向きになるような感じがするもので、慶應大学2年の次男はもちろん、法政大学4年の長男も素直に「カッコいいよ」と言うほどです。

「若き血」には罪などないのですが、ここからは私が複雑な思いを抱くに至った理由を申し上げます。