「テストの目標を満点の100点にしなくてもいい」。慶應義塾大学言語文化研究所の教授・川原繁人さんはそう考えている。社会に蔓延する100点至上主義への4つの違和感と、「“30点でOK”の精神がかえっていい結果を呼ぶ」と考えるワケとは――。

※本稿は、川原繁人『なぜ、おかしの名前はなぜパピプペポが多いのか? 言語学者、小学生の質問に本気で答える』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。

100点満点の算数のテストの回答用紙
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私が娘に「100点なんて目指さなくていい」と言った理由

対談の最後に出てきた話題ですが、この点についての私の考えを膨らませて本書の締めとしたいと思います。

まず、私が娘に「100点なんて目指さなくていい」と言ったのは実話で、娘は当時小学校2年生でした。年度末の漢字テストで90点以下は再テスト、というような場面だったと思います。

「100点とるためにがんばる!」と言った娘のことばに思わず反応してしまったのです。改めて考え直してみますと、私の発言の背後には、最近感じている複数の問題意識がありました。

まず1つ目は、これは授業で小学生たちに強調した点でもあり(↓6時間目)、対談で橋爪先生がおっしゃっていたことでもあります。私たち人間が今、本当に考えなければならないのは、正答がまだ見つかっていない問題、それに、そもそも正しい答えが一つに定まらない問題です。

研究者にとってはそのような問題について考えることこそが仕事ですし、一般の人たちにとっては現代社会が向き合っている環境問題などがよい例だと思います。

にもかかわらず、学校教育では答えがある問題に対してその正答を見つけることが重視されているという違和感でした。

高校までそのような教育がなされているからでしょうか。はたまた点数を取るということが最大の目的になっている大学受験の弊害でしょうか。大学で「答えがない問題を考えてみましょう」と言うと、とまどう学生がいる印象を受けるのです。

ここで私と娘の会話に話を戻しますと、100点が取れる問題というのは、他人が用意した答えがすでにある問題です。

「勉強=正解にたどりつく=点数が大事」という誤解を子どもの頃からすり込んでしまうのはよくないと思っていたことが例の発言の背後にあったのだと思います。