「今日頑張って明日成果が出る」発想すり込みたくない
2つ目の問題意識は、今の世の中、なんでもかんでも短期的な成果が求められているような気がするのです。
何かをやったら、目に見える成果がすぐに出てこなければ評価されない。これは研究の文脈でも大いにあてはまることで、例えば研究費をもらった場合、その成果を毎年、報告する義務が課されます。
しかし、そもそも1年で成果を出すことは難しいですし、そのような短期的な成果を追い求めていると、どうしても小粒の研究にまとまってしまい、大きな仕事ができない、という負の側面もあります。
一般企業で働いたことのない私が推測でものを言うのもおこがましいですが、会社でも同じように短期的に目に見える成果が求められることが多いのでは、と想像がつきます。
また、SNSの普及もこの風潮に拍車をかけているかもしれません。例えば、ツイッターに何かを投稿したらすぐにイイネやリツイートがつく。私たちの脳は知らず知らずに、そうした短期的な報酬を期待するようになってしまっているのではないか。
しかし、長期的にじっくりと腰を据えないと出せない成果もあるわけで、我々にとってはこちらの成果のほうが大事なのです。
私自身の例でいえば、最近は短めのエッセイの執筆を頼まれることが増えました。それはそれでありがたいのですが、やはり書籍執筆という大きな仕事にじっくり取り組む時間が削られてしまうため、仕事を選ばないといけないなぁと実感しております。
また、2017年に出版した本について、5年後の2022年にツイッターで俵万智さんに声をかけてもらい、その後交流が始まるという驚きのイベントも発生しました。自分の努力が何年後どんな形で花開くかわからないわけですね。
SNSの爆発的な普及で、長期的な努力の大切さや長い目で自分の努力の成果を待つことが忘れられていないか不安です。
最近では、「コスパ」ということばをいたるところで耳にしますが、少なくとも「勉強に関しての時間的なコスパ」という考え方には、私は賛成できません。
短期間で勉強したものは本当の意味では身につかない、ということを研究者人生の中で痛感しているからです。「一夜漬け」などしても、長期的に考えればまったくの時間の無駄です。
このような理由から、子どもの頃から「今日がんばって、明日成果が出る」という発想を自分の娘にすり込みたくない、という思いがありました。