慶應の応援にもやもやした

第105回夏の全国高校野球選手権大会は神奈川県代表の慶應義塾高校のなんと107年ぶりの優勝で幕を閉じました。

長髪OKのエンジョイベースボールを貫く姿勢は、旧態依然の体質への長髪ならぬ小気味いい「挑発」にも感じ、さわやかで酷暑の今年を日本中クールダウンさせてくれました。推薦制度の充実はあるとはいえ、それだけで優勝ができるわけでもなく、「2時間練習」を標榜し、結果を出してしまうのですから、「地球沸騰化の中のこの時期の開催」という疑問すらをも吹っ飛ばすようなまさに「快哉かいさい」を叫びたいほどの大快挙であります。

107年ぶりの優勝に盛り上がる慶應の応援席=2023年8月23日、甲子園
写真=時事通信フォト
107年ぶりの優勝に盛り上がる慶應の応援席=2023年8月23日、甲子園

私は慶應義塾大学の出身です。なので、素直に「慶應関係者」という立場で、お祝いを申し上げますが、その優勝直後からのあの「応援」に関してのさまざまな意見が飛び交っています。私もいろんな思いを感じたもので、以下、私の今回感じた「もやもやした部分」などを申し上げたいと存じます。無論これは私個人の「もやもやした部分」であり、そして、もしかしかたらこれは「世間一般の皆様が慶應に対して抱くもやもやした部分」そのものではないかとの思いに達し、筆を執らせていただきます。

まず刮目したのが準々決勝での沖縄尚学戦での大声援でした。

それまで順調なピッチングを続けていた沖縄尚学のエースの東恩納君が慶應の代打・清原君が打席に立った時の大声援に明らかにのまれてしまった表情にくぎ付けになりました。本人も「明らかにあの応援からがきっかけだった」と述懐していました。その後の慶應ナインのみならず会場にいた慶應OBの魂を鼓舞するような「若き血」と、のんびりとした鎮魂歌である「エイサー」がとても対照的だったのが印象的でした。

フラットな立ち位置から見て年端もいかぬ高校生が大声援で委縮してしまうさまは、同じ世代の子を持つ親として忍びなく、正直観たくないなと思ったものです。

予感として、「これは決勝に進めばもっと激しい応援になるなあ」と思い、本当につらくなりました。

観ないつもりでいましたが、カミさんは「あなたは談志師匠から『談』とも名づけられているのよ。決勝戦は観なきゃ」とも言われ、無論慶應高校を応援しながらも、圧倒的大多数の歌う「若き血」に少なからずクエスチョンを抱きながら観戦することにしました。