「国と国」「組織と組織」よりも「個人の情のつながり」を重視する

華僑の文化では、「○○社のAさん」というよりも、むしろ「Aさんという人がいて、今はたまたま○○社で働いている」と認識します。「国と国」「組織と組織」よりも「個人の情のつながり」を重視する、と言い換えてもいいでしょう。

思い返すと、最初に述べた中国人留学生との激論も、彼が私のことを「自己人」と認識してくれていたことの表れだったのかもしれません。

2023年3月に開催された東京和僑会のイベント
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2023年3月に開催された東京和僑会のイベント

日本社会では「個人的な情でつながる」というと、「ビジネスに私情を持ち込むのか!」と怒られてしまいそうですが、華僑の感覚は「個人どうしが情でつながった上でビジネスをやるほうが、うまくいきやすい」というものなのです。

私自身の経験から言っても、華僑的に人間関係を捉える──個人的な情のつながりを重視する──ほうが、ビジネスでも有効だと感じます。

日本人が「和僑」になれなかったワケ

華僑は何世紀も前から存在しているのに、和僑は21世紀になってから生まれています。このことを不思議に思う方もいらっしゃるかもしれません。

戦前期、すでに日本から海外への移民は活発化していましたが、主な渡航先はハワイ、北米、南米でした。しかし彼らは太平洋戦争や強制収容といった複雑な歴史を経て、やがて現地に溶け込んでいくようになりました。その子孫たちは、今では「日系人」として知られる方々です。

東アジアでは日本統治下だった台湾、朝鮮半島、旧満洲、さらには東南アジアや南太平洋などへも盛んに移民が行われました。しかし敗戦後、大変な混乱の中を生き残った人々も、多くが日本に引き揚げました。そのため在外邦人のコミュニティはほとんど残らなかったのです。

戦後の高度成長期以降、日本の大企業は東南アジアに次々と支社を作り、経済進出を強めました。しかし、「日本人どうしが現地でつながる」というかたちのコミュニティはあまり活発に育まれませんでした。大前提として、日本は戦後に内需が急拡大し国内市場が巨大になったため、そもそも海外に出て稼ぐ必要性がそれほど強くなかったのです。

「現地のつながり」より「組織内のつながり」が優先された

また日本の大企業社員の場合、「駐在員」というかたちで赴任してきて、数年経てば本国に戻ってしまいます。そのため「現地に根付こう」という意識は強くありませんでした。

日本の大企業文化では「組織内のつながり」が優先されるため、進出先の国で企業を超えて日本人がつながったり、現地の人々と積極的に交流してビジネスをしていこうという発想自体が希薄だったようです。