「中国人のことを、中国のことをもっと知りたい!」

私が最初に中国に興味を持ったのは2001年、9.11同時多発テロが起こった年でした。中国人留学生と、ふとしたきっかけから9.11テロの話になったのです。当時の私は大学一年生で、まだそこまで同級生と人間関係が築けていない段階で、まして中国人の考え方や相手の性格などもわからず、政治についての積極的な発言は控えていました。

しかしその中国人の彼は、「俺はこう思う!」ということをストレートに表明してきて、その場はケンカのようなやりとりになってしまいました。しかしこの時、私は「お互いの意見を率直に交わす」会話の面白さに気づいたのです。

そこから「中国人のことを、中国のことをもっと知りたい!」という思いが膨らんでいき、2003年には中国の古都・西安にある西北大学に留学しました。帰国後、一度は企業に就職したものの日本の大学院でビジネスを勉強しなおし、そのタイミングで和僑会の立ち上げに関わっていくことになったのです。

和僑会は、華僑の繋がり方にヒントを得て、香港の在外邦人が集まって2004年に生まれました。続いて北京、上海でも作られ、2009年にそれらをつなぐハブとして東京和僑会が誕生します。私は立ち上げの時期から関わり、後に4年ほど事務局長を務めました。和僑会はありそうでなかった試みのため、テレビでも取り上げられるなど注目され始めます。

横浜中華街の旧正月
写真=iStock.com/JianGang Wang
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なぜ華僑の人たちは海外ビジネスで成功できたのか

和僑会が手本としているのは、華僑の人たちの「つながり方」です。では、華僑の人々はどのようにして海外ビジネスを拡大していったのでしょうか?

ここで押さえておきたいのが、人間関係の捉え方です。日本人の場合、就職をする際に「どんな職業に就くか」以上に「どの企業に入るか」を重視しがちではないでしょうか。個人よりも、まず組織があるというイメージです。

一方、華僑の人々は、付き合う人を二種類に大別します。ひとつめは「外人」(ワイレン)。これは外国人のことではなく「個人的な信頼を寄せていない人」という意味です。

もうひとつが「自己人」(ヅゥーヂィーレェン)。「信頼できる、身内のような他人」という意味です。アメリカのヒップホップでいえば「マイメン」、日本のネットスラングでいえば「ズッ友」のようなものでしょうか。華僑は、こうした「自己人」どうしのつながりを非常に重視します。

こうした華僑的な文化と日本企業の組織文化は、しばしばズレを起こします。たとえば日本企業の東南アジア支社で働くAさんという駐在員がいるとします。Aさんは現地の華僑と丁寧なコミュニケーションを重ねて「自己人」的なつながりを作り、ビジネスを広げてきました。

しかしAさんが本社に戻り、代わりに別のBさんが来ると、途端に摩擦が生じ始めます。これまでの「自己人」としてのつながりがなくなってしまったからです。