第2次世界大戦中、国策として満州に送り込まれた「満蒙開拓団」はソ連軍の進撃に遭った。特に女性たちは、ソ連兵の「女狩り」という性暴力の危険にさらされたという。女性史研究者・平井和子さんの『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・「親密な交際」』(岩波書店)より、長野県から家族で開拓団に参加した女性のエピソードを紹介する――。
窓から寒そうな外を見ている女性
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満蒙開拓団の歴史に特化した唯一の博物館

わたしが北村(旧姓・澤)栄美さん(1934年生)と出会ったのは、2021年7月、満蒙開拓団を全国で最も多く送り出した長野県の下伊那に開設された満蒙開拓平和記念館を訪れたときだ。同記念館は、民間の寄付をもとに県や自治体が補助し2013年にオープンした、全国でも唯一の満蒙開拓に特化した民営の博物館である。

訪れた土曜日は開拓団関係者(「語り部」)による証言の日で、この日は、栄美さんが同記念館で初めて「語り部」をする日に当たった。長男の彰夫さん(1960年生)が質問をし、栄美さんが答えるという形で話が進み、会場の参加者が北村家にお邪魔して親子で交わされる語りに耳を傾けるかのようなほのぼのとしたムードとなった。

「2人のよその団のひとがいけにえになってくれた」

途中、突然、彰夫さんが、「黒川開拓団のようなこと(岐阜県送出、ソ連側へ女性を提供するという苦渋の選択をし、近年沈黙を破ってサバイバー女性の2人が語り始めた)は無かったの?」という質問をされ、わたしは予想していなかった質問に身を乗り出した。栄美さんは、「うーん、黒川のようなことは……」と、ちょっと間を置き、「2人のよその団のひとがいけにえになってくれたの」と答えられた。「犠牲者」でもなく、「身代わり」でもなく、「いけにえ」という印象的な言葉を使われた。

講話終了後、一緒に訪問した友人とともに栄美さんを囲んで話をうかがった。女性を求めてやってくるソ連兵の姿が見えたら旗で合図をするのが子どもの役割だったこと、その様子を茶化す替え歌を子どもたちがつくっていたことを聞いた。栄美さんがその場で歌う「ロモーズの歌」を聞いたとき、鳥肌が立った。