学者を甘やかさない関西の土壌とは

以前から、関西の学者は鍛えられているという印象が強い。東京では、私などにもときどき、「先生、鞄をお持ちしましょう」という声がかかって驚くことがある。当地では、学者は敬され遇されている! だが、大阪ではそんな声はまずかかってこない。学者を特別視しない。よって、学者が高邁な話をしても、「先生の話、理屈はそうかもしれませんけど、それ、いったい、なんぼのもんですねん?」という質問が返ってくる。英語で言えば、“So what?”か。「先生」という言葉は使ってくれてはいるが、使っても減らなければ何でも使うのが大阪精神。決して尊敬の言葉ではない、と考えておくのがここでは大切だ(笑)。いわば痛烈な皮肉に、関西の学者は鍛えられる。しかし、厳しいように見えても、「プラグマティズム」の精神から見れば健全なやり取りだ。関西発プラグマティズムは、学者を甘やかさない土壌をつくってきた。

アメリカ発であれ関西発であれ、教室にプラグマティズムの思想が入ることで教室は根本から変化する。では、ビジネス社会では、どうだろうか。ビジネスは、プラグマティズムの権化のはず。よって、ビジネス社会に、「それ、いったい、なんぼのもんですねん?」と問い質したいモノやコトなど、なくなっていて当然のはずなのだが……。

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