状況が厳しいときほど、力強い言葉で確かな未来を語るカリスマ的リーダーに人気が集まる。しかし、いうまでもなく1人の人間を神格化することは企業にとって命取りである。危機においては壮大なビジョンより、勇気と実行力のほうがよほど価値があることを忘れずに。

危機の時代、人々はカリスマ的リーダーを求める。こうしたリーダーの与えるビジョンは明快で、信頼感を育む。

だが、カリスマ的なリーダーシップには欠点もある。「それは人々の弱みにつけこむ」ことだ、ハーバード・ビジネススクールの組織行動学助教授ラケシュ・クラナは言う。カリスマ的リーダーは、「人々に、責任を取り、決断を下す重圧から逃れる術を与える」。

産業界におけるカリスマ的リーダーシップの限界は、過去10年間を見ても証明されているとおりだが、英雄的リーダーを崇拝する風潮はしぶとく残っている。だが、この傾向には、多くの企業を衰退させる恐れがある。

ビジョンが重要でないということではなく、今はもっとほかに重要なことがあるということだ。

南カリフォルニア大学のCenter for Effective Organizationと経営コンサルト会社のブーズ・アレン・ハミルトンは「フォーチュン500社」のうち40社を対象に進めている研究の中で、「最近の不況をうまく凌いでいる会社のCEOは、保守的で型どおりの現実的(プラグマティック)な経営を実践している」という結論を出した。先行きが不透明なときには、ビジョンが果たす役割には限界がある。

クラナは最近、ハーバード・ビジネス・レビュー誌にこう書いた。「1980年代の企業収益の長期低下傾向が今日の投資家資本主義の時代を招いた」。その結果、「投資家は、惰性から脱却して企業改革を断行できるCEOを求めるようになった」。そして、「企業の語彙に使命、ビジョン、価値といった言葉が登場したことに例証されるように」「宗教に近いビジネス概念」が出現したと言う。カリスマ的リーダーは、「弁舌によって社員を鼓舞し、投資家、アナリスト、そして常に懐疑的なビジネス記者らの信頼を得ることができる」人とされた。

クラナはカリスマ的リーダーシップが役に立つ場合があることを認めるが、「我々はリーダーたちが、実際よりはるかに大きな権力を持ち、制約がはるかに少ないと考えがちだ」と警告する。

「過去20年の間、我々はカリスマの概念だけでなく、リーダーシップそのものを過大評価しすぎた」とクラナは続ける。「我々はリーダーシップと経営手腕を作為的に区別し、この2つが部分的には重複していること、すなわちリーダーシップが効果的であるためには経営スキルがある程度必要であること、およびその逆も真であることを見逃していた」。