潔白を積み重ねても、レピュテーションリスクはゼロにはならない

細かい話ですが、「1万努力する」とはこういうことです。僕自身、政治家時代は、仮に深夜2時の誰も通らない車道であっても、絶対に青信号になってから横断歩道を渡りました。まあ当たり前のことではあるのですが、このような小さなルールも徹底して守っていたつもりです。経費精算も1円レベルで厳密に行い、奢り・奢られは一切なし。地方の特産物をいただいても、「受け取れないんです」と丁重にお断りしていました。それくらいしてようやく「橋下は金には少々きれいだ」と周囲が認めてくれるのです。

しかし、そこまで潔白を積み重ねても、レピュテーションリスクはゼロにはなりません。その場合は徹底して、論理的に反論すべきです。だから今回、岸田さんが当初の「処分しない」方針を貫くのであれば、それはそれでアリだったと僕は思いますよ。

実際、法に触れることをしたわけでもありません。首相公邸は首相の居住空間であるプライベート部分と、来賓を招いたり組閣決定後の記念撮影を行ったりする公の部分に分かれます。たしかに今回、翔太郎氏らは後者の空間で少々“ふざけた”写真を撮り、それ自体は不適切だったかもしれませんが、しかしそれとて「写真撮影をしてはならない」規則は存在しないのです。

今回こぞって批判している野党の議員たちだって、自分の後援者を引き連れて国会見学を行い、公的な様々な場所で写真撮影も行っているはずです。

では、なぜ翔太郎氏は炎上したか。これはやはり本人の行為のこれまでの「積み重ね」があったからにほかなりません。取り立てて善人になる必要もありませんが、税金を給料としていただく立場である以上、その行いはマイナス面もプラス面も累積され、喧伝されていくものです。プラス面が大きければ、多少のミスや不手際があっても、積んだ徳に吸収される形で消え去ります。でも、もしマイナス面が累積されていけば、世論の不満は膨らみ切った風船のごとくパンパンになり、ある日、些細な出来事(針)で弾け飛ぶことになるのです。

今回、岸田さんは早いタイミングで事実上の更迭という手を打ちました。前述のとおり反論しようと思えばできたかもしれない。でも、理屈抜きで火消しに走った。レピュテーションリスクの不条理さを思えば、中途半端に反論するよりも感情面での対応を優先したほうがいいという判断でしょう。それはそれで合理的だと思います。

企業にもこうしたレピュテーションリスクにさらされる危険は常にあります。そのとき、厳密に論理的に反論するか、反論を封じ感情面の対応を優先するか、あるいは両者の合わせ技を使うか。どれを選ぶかは状況によりますが、いずれにせよ早い段階で対応することが重要です。

(構成=三浦愛美 撮影=的野弘路)
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