新型コロナウイルスが流行する約10年前にも、世界でパンデミックは起きていた。2009年の「新型インフルエンザ」である。だが、その時にまとめられた報告書の提言はコロナ禍では生かされなかった。なぜなのか。新型コロナウイルス感染症分科会会長の尾身茂さんに聞いた――。

※本稿は、牧原出、坂上博『きしむ政治と科学 尾身茂氏との対話』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

軽症者の検査を集中的に行う「名古屋市PCR検査所」の開設を前に、報道陣に公開されたドライブスルー方式検査のデモンストレーション。写真はスワブ(綿棒)で鼻腔(びくう)から採取した検体を入れる容器=2020年5月20日、同市内
写真=時事通信フォト
軽症者の検査を集中的に行う「名古屋市PCR検査所」の開設を前に、報道陣に公開されたドライブスルー方式検査のデモンストレーション。写真はスワブ(綿棒)で鼻腔(びくう)から採取した検体を入れる容器=2020年5月20日

日本で2000万人以上が感染した「新型インフルエンザ」

実は、新型コロナウイルスが流行する約10年前、同じくパンデミックを引き起こした感染症があった。2009年4月から世界で感染が広がった「新型インフルエンザ(H1N1)」だ。世界の死亡者数は1万8000人以上にのぼったとされる。日本でも5月に最初の感染者が確認され、その後、2000万人以上が感染し、約200人が亡くなった。世界の国々に比べると比較的、被害は軽く済んだが、それでも、マスクなどの医療物資や検査・病床の逼迫、感染者への差別などの問題が浮き彫りになった。この時の教訓を生かそうと、厚生労働省の総括会議が10年に「新型インフルエンザ対策総括会議報告書」をまとめている。報告書は既に、PCR検査体制を強化すべきだと指摘していた。

報告書の提言は生かされなかった

――新型インフルエンザ対策総括会議報告書が、新たな感染症に備えて的確に問題点を指摘していたのに、新型コロナウイルスが上陸した20年には生かされませんでした。

【尾身茂氏(以下、尾身)】私も新型インフルエンザ対策総括会議のメンバーでした。この報告書は、今回のコロナ禍で浮き彫りになった課題を、ほとんど網羅的に取り上げていました。

「国立感染症研究所、保健所、地方衛生研究所も含めた日常からのサーベイランス体制を強化すべきである。とりわけ、地方衛生研究所のPCRを含めた検査体制などについて強化すべきだ」
「厚生労働省、国立感染症研究所、検疫所などの機関、地方自治体の保健所や地方衛生研究所を含めた感染症対策に関わる危機管理を専門に担う組織や人員体制の大幅な強化、人材の育成を進めるべきだ」
「国民への広報やリスクコミュニケーションを専門に取り扱う組織を設け、人員体制を充実させるべきである」
「地方自治体も含め、関係者が多岐にわたることから、発生前の段階から関係者間で対処方針の検討や実践的な訓練を重ねるなどの準備を進めることが必要である」

提言の主な内容は、このようなものでした。しかし、この提言は生かされませんでした。その理由として、その後、政権交代が度々あったり、東日本大震災など大きな自然災害に見舞われたりしたことが背景にあったと思います。

今回のコロナパンデミックが完全に収束するにはまだ時間がかかると思いますが、終わっても、「のど元過ぎれば熱さ忘れて」同じ過ちを繰り返してはいけないと思います。