恋愛をしない性的マイノリティもいる
「恋愛は面倒」という感覚が珍しいものではないことは、冒頭にも書いたとおりだ。
今や20~40代の未婚の人のうちで、恋人がいない人の割合は7割くらい、交際経験がない人の割合は、20代の男性で4割にのぼってしまう(※2)。
“アロマンティック”も注目されるようになってきた。“ア”は否定を表す接頭辞で、“ロマンティック”は英語で「恋愛の~」といった意味だ。つまり、恋愛感情がない性的マイノリティを指す。
LGBTに続けて書かれるQIAのなかのAはアセクシャルを指す。アセクシャルは同じように、性的欲求のない人を指していて、アロマンティックと重なる部分が大きい性的マイノリティだ。
両者は混同されることも多い。そして少数と言ってもアセクシャルは1パーセントくらいはいて、これは同性愛者と同じ割合なのだ(※3)。
こうしたアロマンティック、アセクシャルも注目され、広く認知されるようになってきた。とてもいい傾向だ。
恋愛なんか、やりたい人がやりたい分だけやっていればいいのだ。無理な時はその気持ちにならないので、あえてやらなくていい。
恋愛は、若者時代の一番の歓びであるかのように言われるけれども、それをまったく経験せずに過ごしてしまった自分は、後悔しているだろうか?
考えてみればこれも後悔はしていないのだ。
もちろん好きな相手がいて、なおかついいつきあいができたなら、もっと楽しかっただろう。けれども、そうではなかったのだからしかたない。
むしろ自分のポリシーを曲げてまでナンパな振る舞いをしたり、好きな相手もいないのに、無理に誰かとつきあったりしたほうが後悔していただろう。
自分がやりたいようにやっていれば、そうそう大きな後悔にはならない。もし嫌な思いをしてしまっても納得がいく。やりたくもないのにやらされることのほうが問題なのだ。
「全員こうするべきだ」とされていることにこそ、疑問の目を向けよう。
セックスも無理にしなくていい
あるアンケートでは、セックスが「いつも・大体痛い」と答えた女性が18パーセントもいた(※4)。気持ちいいどころか、痛いのをがまんしているわけだ。
セックスは恋愛というストーリーのクライマックスに位置づけられているだけに、素晴らしいものとしてあがめられる度合いもこの上ない。
けれども、そんなにがんばってやらなければいけないものなのだろうか?
特別な位置づけの行為だけあって、セックスをするまでには他とはまったく異なる手順が必要になる。
まずはその気があるなら、相手にさりげなくほのめかして、その後場所を提案して誘導して……、そんな儀式のような手続きを経なければいけない。しかもたいていは男が、それを差し障りなくとり行わねばならない。
「それ全部やらなきゃいけないの?」と言いたくもなるだろう。
セックスそのものにはそこそこ興味があっても、そこに行き着くまでの苦労を考えれば、そこまでの興味はない。そのくらいの人は多いのではないか。自分もそんなひとりだった。