そもそも恋愛をしなくていい

ある調査では、未婚で恋人がいない人の約四割が「恋人が欲しくない」と答えた。

そしてその理由で一番多かったのは、「恋愛が面倒だから」だった(※1)

本当は異性とそんなにつきあいたくない。大変な思いをするくらいなら、どうしてもとは言わない。そんなふうに思う人も、実は多いのではないだろうか?

「異性とどうしてもつきあいたいのに、何かの事情でつきあえない」という悩みなら、それはそれですでに市民権を得ている。けれども、「そんなにつきあいたくないんだけど」という気持ちは、なかなか言うこともできず、ないことになっていたのではないか。

ポップスの歌詞も青春映画のテーマも、ほとんどは恋愛だ。誰もが異性を好きになっているもの、誰もがセックスをしたいもの。そう決めつけることによって、これまでの恋愛文化は成り立ってきたのだ。

けれどもそれも、そろそろ見なおしてもいいのではないか?

恋愛感情がなかった高校時代

自分は30歳くらいまで、異性とつきあったことはなかったと書いた。そのなかでも特に謎なのは、高校から予備校という10代の後半の時期だ。

異性に恋愛感情を持った記憶がないのだ。

高校時代の日記を見てみると、女子生徒は少なかったものの一応共学だというのに、女子生徒についての記述は何ひとつ出てこない。同性との交友関係については、嫌というほど出てくるけれども。

若い生徒たちは学校の廊下でおしゃべりをする
写真=iStock.com/urbancow
※写真はイメージです

誰がいい、誰はよくないなどと観察をする視点もなかったので、どんな異性がいたのか記憶にもほとんど残っていない。名前を憶えているのはひとりくらいだ。

ついでに言えば、女性の芸能人やマンガやアニメの女性キャラクターなどにも興味はなかった。好きなロックでも、恋愛の歌ばかりのミュージシャンは低く見えてしまう。

つまりこの頃は、誰にも恋愛感情がなかった。これは確かだ。

その後大学に入ってからも、それほどの恋愛感情があったかどうか怪しい。好感を持つ異性くらいはいたが、つきあうことが難しそうならすぐにあきらめる程度には、意欲に乏しかった。

その後書いた本がベストセラーになると、人づきあいの環境ががらりと変わった。自分が入れ込んでいたマイナーな音楽やマンガの話でもできる相手が見つかるようになったのは、人生における画期的な変化だった。

それ以降、異性ともつきあうようになったのは、すでに書いたとおりだ。

こんな話は、これまでにほとんどしたことがなかった。

周知のとおり、こういうことはとても言いづらい。誰でも自分のなかに、特に悪いことをしたわけではないのに言えないことがいくつもあるはずだ。なぜ言えないのだろう?

それが不当に恥ずかしいこととされているからだ。

つきあったことがない人は、まず好かれない、人気がない人として低く見られる。勇気がない、気が弱いとも思われるだろう。少なくとも人気者で楽しく過ごした若者時代ではなかったに違いない。いきなりそういう扱いになってしまうのだ。

これまで黙っていたことを最近になって言う気になったのは、そんな気持ちを堂々と主張する人が出てきたからだ。