カウンセリングとキリスト教とのかかわり
【島薗】最相さんはそれまでキリスト教にはそれほど関心がなかったのでしょうか?
【最相】教会の附属幼稚園に通っていましたし、小学生の頃に日曜学校に誘われて何度か行ったことがある程度です。大学は関西学院でしたが、学生時代はチャペルに近づいたこともありませんでした。
【島薗】最相さんの著書『セラピスト』(新潮社、2014年)を読むと、少しずつキリスト教に近づいているようにも思いました。
【最相】あの時は親の介護で限界状態にあったこともあり、人が回復するのかはなぜかを、ノンフィクションとして書こうと思い心理学を学び始めました。そうすると、カウンセリングとキリスト教とのかかわりが見えてきたんです。
【島薗】私もそこは最相さんと似ているなと思いました。同じようにキリスト教系の幼稚園に通っていた。それに私は父が精神科医で、私自身も漠然と医学部に入って同じ精神科医の道へ進むことになるのかなと思っていました。
ですが当時東大の医学部から始まった学園闘争と出会います。その始まりは精神科医の戦いなのですね。後に解放病棟を試みることになるのですが(赤レンガ闘争)、その前に若手医師や学生の運動は抑え込まれます。その時、行動している自分の中になんのしっかりとした信念もないことを非常に頼りなく感じて、宗教に関心を持つきっかけになりました。『「甘え」の構造』(弘文堂)などで知られる土居健郎先生が、東大医学部の保健学科におられて、「フロイトと宗教」という卒論の相談にうかがったとき、「フロイトの精神分析は宗教みたいなもんだ」とおっしゃっていたのも私の心に残りました。
実際に、土居先生の精神医学の基盤にはキリスト教がありました。セラピストであることと、クリスチャンであることが補いあう関係だったと思います。最相さんが『セラピスト』の中で取材していた、精神科医の中井久夫先生も最後クリスチャンになられましたよね。
精神科医の回答は「おごりがあるから」
【最相】ええ、実は中井先生の洗礼式に立ち会わせていただいたんです。友人の方がなぜ洗礼を受けるのかと聞いたところ、中井先生は「おごりがあるから」と一言お答えになったそうです。全集の解説を書くために、中井先生の人生を取材してきましたので、本当に腹に落ちた気がしました。
【島薗】中井先生は絵も描けるし、人文系の学者が感心するような文章も書けるし、現代ギリシャの詩人の訳詩集もある。たいへん博学で多彩な才能がきらめいているような方でしたからね。
【最相】高名な精神科医の先生には、どこか宗教の創始者のようなところがありますよね。もちろん科学的なアプローチなのですが、それでも科学だけでは突き詰められないところを、なんとか理解しようとされていた気がします。