サーカスの中で唯一、母に「帰りなさい」と言った人

――一方、当時を振り返る取材パートでは、「夢は続かない」という現実にも触れられています。

当時のことを知るいろいろな人に話を聞く中で、みんなが口をそろえて言っていたのは、サーカスは「入りなさい」とか「出ていきなさい」と言われる場所ではないということです。サーカスは確かに一つの家族のようでありながら、一方でその人がどこから来たのかといった背景は聞かないところがあったようです。

でも、炊事場で働いていた母の上司・おたみさんは「来る者は拒まず、去る者は追わず」のサーカスの中で、唯一、「帰りなさい」と母に何度も言った人でした。

〈サーカスにいる人たちは、シャバに戻るとみんなおかしくなる。だから、あなたは早く帰りなさい。1年が限度だよ。そうじゃないと、帰れなくなってしまう。わたしは一生、サーカスの鍋磨きとして生きることになってしまった。もう帰れなくなってしまったんだよ〉(『サーカスの子』「ひとかけらの記憶の断片からⅣ」より)

母はおたみさんのこの言葉に背中を押されるようにして、私が小学校に入学する少し前にサーカスを出ることになったといいます。おたみさんなりに母を気にかけた言葉だったと思うんですよね。

「非日常」を「日常」として生きる人々

――サーカス団に長くいると、出たあとで苦労することが多いということですか。

やはり社会というのは、閉じられた世界であるサーカス団とは、あまりに異なる場所なのだと思います。サーカスは毎日がお祭りのようににぎやかで、寂しいという感情も抱かずにすむ。サーカスは、あるところに現れ、今度はパッと消えて、どんどん場所を移動していく。日々別れがあるというと寂しげに感じるかもしれませんが、サーカスにいる人たちにとっては違います。

カラフルな衣装を身にまとったキグレサーカスの芸人たち。
写真提供=稲泉連
カラフルな衣装を身にまとったキグレサーカスの芸人たち。

本の中で「非日常を日常として生きる」と表現しましたが、私が経験した幸せなサーカスの生活というものは、大人たちにとってもすごく幸せで、楽しいお祭りのような場所だったとみなが口をそろえて言いました。サーカスにいれば電気代を払わなくていいし、衣食住は全部タダで、仲間もいる。都市の生活とは全くの別世界でしたから。

その一方で、子供だった当時の私は考えもしませんでしたが、当時サーカスにいた大人たちと再会していく中で、サーカスはいつか出ていかないといけない場所だったと教えられたように思います。