いつかは夢から覚めるし、祭りは必ず終わる

――どれくらいの期間サーカスにいる人が多いのでしょうか。

稲泉連『サーカスの子』(講談社)
稲泉連『サーカスの子』(講談社)

今回、話を聞いた人だけでもサーカスにいた期間はバラバラです。サーカスにずっと残っていた人もほとんどいません。ですが、あれから約40年たったいまでも「サーカスにいたときの時間がいちばん濃かった」と、元団員の人たちは口をそろえて言うわけなんですよね。

自分にとっても、なぜ子供時代の記憶としてサーカスの風景が自分の中に色濃く残っているのかを考えると、サーカスで過ごした時間というものがそれだけ濃密だったからなんだと思います。

でも、サーカスに長い期間いた人というのは、出たあとで社会に適応していくのにすごく苦労する面もあることを、この本を書く中で知りました。例えば、サーカス生まれでスター団員として活躍した駒一さんという人がいるのですが、彼と結婚した美一さんは、私にこう言いました。

〈ひとつの閉じられた世界で生まれ育った人は、ご飯を食べる術をそれしか知らない。じゃあ、そうやって育った子供たちが大人になって、そのまま外に出たらどうなるか。お酒の自動販売機の前で、倒れて死んでいたという人もわたしは知っている。後に孤独死をした駒一だって同じようなものよ。たぶん、彼はぜんぜん幸せじゃなかったと思う〉(『サーカスの子』第1章「終わらない祭りの中で」より)

その後の「日常」とは違うからこそ一生ものの記憶として残り続ける

美一さんは、もともと外の世界からサーカスに入った人ということもあって、自分自身の体験や駒一さんのこと、サーカスで生まれ育った人が社会に出たときの困難、あるいは社会で生きていくために乗り越えなければいけないものがあるということを、とても相対化して話してくれました。

困難をしっかり乗り越えて生きてきた人だからこそ、幸せなサーカスの時間というものの本当の姿を私に伝えてくれようとしたんだと思います。いつかは夢から覚めるし、祭りは必ず終わるんだと。

サーカスで生活することが良いとか悪いという問題ではなく、非日常を日常として生きるサーカスの世界から社会に出ると、環境の変化があまりにも大きかった。でも、その後のその「日常」とは違う世界がそこにあったからこそ、サーカスにいた時間は一生ものの記憶として強く残り続けるのかもしれませんね。

ノンフィクション作家 稲泉 連さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
稲泉連さん
(構成=プレジデントオンライン編集部)
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