また、仮に純粋な気持ちで「相手に反省をしてほしい」と思ったとしても、直接の知り合いでもなんでもないあなたの言葉が相手の心に届いたり、「心を入れ替えよう」などと思ったりするはずもありません。

影響があるとしたら、昨今社会問題になっているような誹謗ひぼう中傷の一環ととらえられ、相手の心身を追い込み、最悪な結果をまねくことに加担してしまうだけでしょう。

軽蔑をしても、なんの戒めにも救いにもならない。しかも、イライラした感情はあなたの心身に悪い影響を与え、自分が損をするだけで、決して幸せにはなれない。まずはこれを認識していただきたいと思います。

バカにするのではなく相手に寄り添う

誰かに対して軽蔑の念を抱いている自分に気づいたら、まずはその軽蔑の感情が、どんなタイプのものであるかを冷静に分析してみましょう。

「残念だな」「かわいそうだな」という哀れみに近い感情であれば、「軽蔑」を「同情」に置き換えられるように働きかけてください。

同情とて、問題解決の決定打にはなりませんが、軽蔑よりははるかにまし。相手の気持ちを理解し、寄り添っていくことができるようになるからです。相手の行動の裏側や真意を想像しようとしないことは、無知なる行為、すなわち「痴」になります。

例えば、食事のマナーが著しく悪かったり、言葉遣いが乱暴だったりする人がいたとしましょう。それを目の当たりにして軽蔑したくなったとき、「最悪だな。どうしようもない。こうはなりたくない」ととらえるのではなく、「育ってきた環境があまり良くなかったのかな」「おそらくご両親の躾の問題であって、この人の責任ではないはず」「なにか精神的につらいことを抱えているのかな」などと考えるようにするのです。

ブッダは「人間は等しく愚かであり、誰もが病気を患っているようなもの」という見方をしています。パーフェクトな人間なんて、存在しません。蔑んでいる暇があったら同情してあげてください。

そうなってしまったのは仕方がない。
その人だけが悪いわけではない。

このように考えれば、ネガティブな感情を心の中で育てなくて済むようになります。

あなたの精神状態は、今よりもいっそうおだやかなものになるでしょう。

僧侶
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「軽蔑」の多くは「怒り」に発展する

軽蔑には、蔑みではなく怒りに近いタイプの感情もあります。

「なんであの人はこんな簡単なこともできないんだ。ありえない」
「めちゃくちゃ狭い道なのに、横に広がって歩くなんて非常識で迷惑だ」

このように、自分が簡単にできることをできない人、場の空気を読めない人、社会的ルールを守れない人に対して生じる軽蔑は、たいていの場合、怒りに発展するものです。

芸能人のスキャンダルに対するバッシングも「清純派だと思っていたのに、ルールを破って不倫するなんて許せない」などと、怒りの感情で叩いている人もいるでしょう。

相手をバカにする気持ちが怒りに変わってしまっているな……。そんな自分の気持ちに気づくことがまず第一歩。

怒りの感情への詳しい対処法はまた別の機会にお伝えしたいと思いますが、怒りとは自分の心の中で起こる火事のようなものなので、火事を起こさないようにする予防策と起こってしまったときの素早い初期消火が大切です。

どうしても怒りの感情が湧いてしまったときは、怒りの対象から離れて冷静になること、そして怒りの炎に燃料(自分の心の中の妄想や思い込みなど)を投下しないことが、怒りで心を消耗させない秘訣です。