戦争に貧困、格差……世界をとりまく深刻な状況は解消することがない。宗教学者の阿満利麿さんは「紀元前後に登場する『阿弥陀仏の物語』では『五濁』といって、人間とその世界の悲惨を5とおりに分けて説明している。現代もこの五濁を免れていないどころか、ますます五濁を深めている、という感慨をもたざるをえない」という――。

※本稿は、阿満利麿『「歎異抄」入門』(河出新書)の一部を再編集したものです。

鎌倉大仏
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解決できない苦しみや不安をもったまま生きるのが人生

私たちの直面する苦しみや不安も、その原因が明らかにできれば、苦でなくなり、不安も解消される。だが、その原因を尋ねてゆくと、苦しみをもたらしている原因は、決して一つではなく、多くの原因と結果が複雑に絡み合っているのだ。そうなると、私たちの力では、苦しみをもたらす因果の関係のすべてを見通せる智慧を身につけることなど、思いも及ばないことになる。こうして、解決できない苦しみや、不安をもったまま生きるのが、人生ということになる。

ここで、「阿弥陀仏の物語」が登場する。

歴史的にいえば、紀元前後のころといわれる。仏教そのものは、紀元前5世紀ころ、ゴータマ・シッダールタによってインドで生まれた。彼は35歳のときに、「生老病死」の「苦」を脱するための智慧を身につけて、「ブッダ」(「悟った人」・「仏」・「釈尊」)になったとされる。その後、「ブッダ」の教えは、智慧を獲得するための精緻な修行の体系とともに、各地に広がってゆくが、こうした修行は、限られた人々のものになり、多くの人々が取り残されてゆく。

万人の救済のための新しい仏教

そこで、紀元前後くらいから紀元3世紀ころにかけて、万人の救済を目的とする、新しい仏教がインドで生まれてくる。そこでは、多くの「大きな物語」(「経典」)が生まれるが、その一つが「阿弥陀仏の物語」なのである。経典名は、漢訳されて『無量寿経』という。「阿弥陀仏の物語」は、釈尊の弟子、阿難が、阿弥陀仏という仏が生まれた経緯を釈尊から聞いた、という形式をとっている。いうまでもないが、ここに登場する釈尊も、阿難も、歴史上に実在した人物ではなく、物語のなかの登場人物である。

はじめに、私が興味をもつのは、物語の聞き手が阿難だという点にある。阿難は、歴史的には、釈尊の従弟といわれている。阿難は、釈尊の55歳ころに侍者になり、釈尊が亡くなるまで、身の回りの世話をしてきた。そのため、釈尊の教えの数多くを聞くことができたので、のちには、「多聞第一」とよばれるようになる。

だが、阿難は、釈尊の存命中には、悟ることができなかった。伝えられるところによれば、阿難は美男であり、世話好きであり、恩愛の情が大変深く、相手に同情しすぎて、状況を客観的に見ることができない人物であったという。そういうことも、彼が早々に悟ることができなかった理由であるかもしれない。彼が悟ったのは、釈尊亡きあと、兄弟弟子たちの導きのおかげであった。

思うに、恩愛の情に深く、ときに人情に流されることが多かった阿難こそは、私たち凡夫の代表なのではないか。その阿難がこの物語の聞き手として起用されているということは、この「阿弥陀仏の物語」が、私たち「凡夫」のための教えであることを示して余りあるように思われる。ちなみに、「凡夫」とは、なにごとにつけても、いつも関心の中心が自分にあり、他者への関心も自分のため、というような人間のことである。