7キロ四方の城に芥子粒を満たし100年ごとに1粒取り出す
こうして法蔵は、理想の仏土をつくるために、あらためて特別の願いを発する。それは、これからつくろうとする、仏土のいわばデザインを完成するための「行」を明らかにする作業なのだが、そのために「五劫」という時間を必要とすることになった。「劫」とはインド神話の時間の単位だが、私たちにとっては、ほぼ「無限」に近い。伝説では、四方が一由旬の鉄の城に芥子粒を満たし、百年ごとに一粒ずつ取り出して芥子粒全部がなくなってもまだ「一劫」は終わらないという。「一由旬」とは、約7キロメートルという説がある。そこで、阿難は、世自在王仏の寿命がいくらかを釈尊に問う。というのも、法蔵が「五劫」もかけて必要な「行」を獲得するのに、師の世自在王仏が亡くなっていては、話が進まないと思ったからだろう。釈尊曰く、「四十二劫なり」、と。
途方もない時間をかけて「四十八願」を実現
法蔵が「五劫」という、とてつもない時間をかけて手にした、新しい仏土の設計図と、そこにいたる方法とはどんなものなのか。それは、四十八にのぼる「願」として示されている。
今回は、そのすべてを紹介することはしない。関心のある方は、直接、『無量寿経』にあたってもらいたい。たとえば、第一願はつぎのようにのべられている。現代語訳でいえば、「もし私が仏になったとき、私の仏土に地獄・餓鬼・畜生という三悪道がないようにしたい。そうでなければ私は仏にはなりません」、となる。実際は、この願いは実現したのであるから、法蔵のつくった仏土には、「地獄・餓鬼・畜生」はない、ということになる。以下、どの願の文章も、冒頭は「もし私が仏になったら」ではじまり、つぎに、願の内容が示されて、おわりは、「そうでなければ、私は仏になりません」と締めくくられている。