毒母との暮らし

離婚成立後も柴田さんは実家で暮らし、パートから正社員に戻った。夫からは完全に解放された柴田さんだが、母親からは解放されなかった。

父親が82歳で亡くなったとき、母親は72歳。まだ足腰が丈夫だった頃は、「あんたの世話になんかならない」「あんたの手を借りるほど落ちぶれていない」と悪態をつくが、見ないフリをすれば、「あんたは冷たい」「あったかみがない」と言い、先回りして片付けていけば、「あんたがそばにいると急かされているようだ」と言い放つ。

よかれと思い、母親の犬たちの世話をすれば、「あんたに動物を飼う資格はない」と言われ、母親の体調が悪いときに兄の面会に一人で行って帰ってくれば、感謝もなく開口一番「クソの役にも立たないな」と吐き捨てられる。

父親が兄のために遺したお金と、柴田さんが夫から死守した実家の蓄えは、母親が言い出した実家のリフォーム代に消えた。

柴田さんは、そうした母親からの言葉や態度が自分の心と体をむしばみ続けていることに気付いていなかった。

不安から、無意識にセーターの袖を触っている女性
写真=iStock.com/PeopleImages
※写真はイメージです

2015年。42歳になった柴田さんは、自分が保てない感覚に襲われ、心療内科を受診すると「うつ状態」と言われた。医師は、突然父親が亡くなったショックと、元夫から7年間受けてきたモラハラの後遺症により、離婚後も続く不安感や恐怖感、父親を亡くした不安から柴田さんを頼ってくる母親によるプレッシャーなどが原因だと説明した。

柴田さんは、母親から言われたことをいくつか話したところ、「そんなひどいことを……!」と医師は驚愕。

母親はよく、「あんたは人の親になったことがないからだ」と言った。これには死産のつらい経験がある柴田さんもさすがに、「子どもに死なれている娘によくそんなことを言えるね」と言い返す。すると母親はこう言い放ったのだ。

「子どもが死んだのはあんたのせいだ」

このあと柴田さんに記憶はなかった。気づいたら朝食の片付けをして、自分の部屋にいた。

また別のとき、「もう死んでもいいかな?」と言ったことがある。すると母親は平然と言った。「ああいいよ、散々男のケツあさったんだからもういいだろ」。言葉を失った。

同居がつらくなった柴田さんが実家を出ようとすると、「どうせ男を連れ込むんだろう?」「育て方が悪かった」「あんたは自分の都合の良いようにばかりする」とまくし立てる。

「『違うんだよお母さん! 私はそんなことしてない』『私はそんなこと思ってない』『見て見てお母さん! 私はこんなに考えてこういうことしてるんだよ』『お母さん! 私のことちゃんとわかって』……子どもの頃から母に分かってもらいたくてずいぶんいろいろとやってきましたが、全部ムダでした。何を言っても『減らず口ばっかり叩いて!』でおしまいでしたから。もしもあの頃の私に会えるなら言ってやりたいです。『どんなに頑張ったって通じないんだから、ちゃんと自分のこと考えな』って」

父親の死から8年ほど経ったこの日、ようやく柴田さんは母親に対する気持ちに区切りがついた。