毒母の死

2014年に72歳になった母親は、要介護1と認定され、デイサービスに通い始めていた。

しかし2021年4月、79歳になる頃、それまで定期的に行っていたデイサービスを、「調子が悪い」などと言って休みがちになる。

同じ頃、柴田さんは、楽に死ぬ方法ばかり考えるようになっていた。自分が出勤中、一人で家にいる母親が心配なことと、主治医にうつ病が悪化したと言われたことから、柴田さんは休職を決めた。

5月、母親は「だるい」と言って横になっている時間が増え、6月には腎機能の悪化を疑い、泌尿器科を受診。屋外での自立歩行が難しくなり、車椅子を使うように。

7月には食欲低下による脱水症状で入院するも、暴れて1泊で強制退院。医師から認知症の症状があると説明を受ける。

11月、入浴介助開始。食欲低下による栄養不足のため、度々入退院を繰り返す。

12月、トイレ介助開始。

2022年1月、母親は、透析のための血管を作る手術を受け、透析も含め、2週間入院。

2月、週3回透析を開始。

3月、透析を拒否して暴れる。病院と相談し、透析中止を決定。

4月、椅子に座っていられなくなる。痰が絡み、呼吸がしづらい様子。病院へ連れて行くと、酸素濃度が低く、肺に水がたまっていた。心不全の兆候も見られたため、入院。入院中の透析も希望せず、体調の急変時は自然に任せる旨を病院と確認。

入院が始まると看護師さんに手を上げることがあり四肢拘束。2週間後、退院し、在宅介護・訪問診療がスタート。

5月、家の中でも自力で歩けなくなる。オムツでの全介助開始。

固形物を受け付けなくなり、プリン・ゼリー・アイス・粉飴でカロリー摂取。

この時期、施設に預けている兄も嚥下えんげ機能が低下し経口摂取が困難に。鼻から管を直接胃に入れて栄養補給をするようになるが、兄の気管が他の人より狭く、事故の懸念もあり、胃ろうへの転換を勧められる。

兄の入院・手術に際し付き添いが必要だったが、母親が在宅で全介護状態のため柴田さんは身動きが取れず、兄の施設の職員に代わりに付き添ってもらう。身内でないと決められないことが多く、たびたび兄の施設から電話があり、母親の介護で手が離せないときはすぐに折り返した。

中旬、母親にせん妄が始まる。ずっと畳を爪でひっかいていたり、父親がいると言ったり、四六時中柴田さんを呼んだりと、混沌とした状態が続く。

5月末、自宅にて逝去。80歳だった。