柴田家のタブー

2022年に母親を看取ってから約1年が経過する。

現在も柴田さんは不眠や悪夢、不安感や恐怖感に悩まされ、うつ病は回復していない。そのため柴田さんは、休職期間満了後、退社することを決めている。

61歳になった兄は、6〜7年前、アンジェルマン症候群と診断。これは、重度の精神発達の遅れ、てんかん、失調性運動障害、容易に引き起こされる笑いなどの行動を特徴とする疾患で、2015年に難病指定された。

柴田さんは兄の面会を怠らず、母親が遺した犬たちもかわいがっている。

筆者は、家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。柴田家にもそれは当てはまる。

「短絡的思考」は、柴田さんの両親にあった。母親は何不自由なく甘やかされて育ち、ほぼ社会経験もなく結婚。ところが第1子に障害のある息子が生まれた。苦労したことは想像に難くないが、2人目をもうけるにあたり、もし自分たち親が他界した場合、息子をどうするのかという想定を一切せず、2人目の子ども=柴田さんの人生をしっかりと考えたようとした形跡はない。

柴田さんは、兄や母親を優先し自己犠牲を払い続けてきたため、精神を病んで社会生活が送れなくなってしまった。これは自己中心的で息子優先の母親はもとより、その母親を制御できなかった父親の対応にも問題があったように思う。親による暴挙から幼い子どもを守ることができるのは、もう一方の親しかいないのだ。

また、柴田さんが子どもの頃、障害のある兄に対する世間の冷たさを味わっていた母親は口癖のように言っていた。

「人とは付き合わない。他人に悪口を言えばすぐに広まる。言った言わないでもめるなら初めから付き合わないのが得策だ」

そのため母親には友達がいなかった。そして障害のある兄が騒ぐたびに引っ越しを余儀なくされていた柴田家は、世間から孤立していた。

着る服も、交際相手も、母親にコントロールされていた柴田さんだが、40代になるまで母親が毒親だと気付かなかった。母親からひどいことを言われるのは自分が悪いからだと思っていたからだった。

「自分はできていない=恥ずかしいこと」と考えていた柴田さんは、自分に対する羞恥心から、家庭でのことを誰にも相談することはなかった。母親により情報統制されていたから、気付けなかったのだ。