歓喜の離婚
柴田さんの父親の死後、夫は何を思ったか、父親の死によって動揺している柴田さんに代わり、葬儀などさまざまな手続きを買って出てくれた。
しかし柴田さんは喜ばなかった。むしろ「大黒柱を失った妻の実家が弱っているところで、恩を売って私の頭が上がらない状況をつくり、自分の天下にしようって腹だ」と身構えていた。
「最も尊敬する最愛の父を、“毒母の夫”でも、“モラハラ夫の義父”でもなく、“私の父”として見送りたかったのです」
柴田さんは、でしゃばる夫をうまくいなしながら、喪主として葬儀を手配。家族葬とし、夫側の親族を一人も入れなかった。葬儀後も実家に残り、うなだれて仏間に座り込んでいるだけの母親を尻目に、役所手続きに奔走し、障害があり施設に入っている兄の面会にも行き、家事もこなした。
一方夫は、父親の死後から柴田さんの実家に泊まっていた。しかし妻をおもんぱかる言葉など一切かけず、2人きりになると父親の預金残高を何度も訊ねてきた。
しばらく柴田さんの実家から通勤していた夫だが、慣れない環境で、義母に気を使って過ごしていたせいか、1週間ほど経ったある日、仕事でミスをしてしまう。その日、夫は柴田さんに電話をよこし、「もうそっちには帰らない。俺の荷物をアパートに運んでおけ!」と怒鳴り散らした。
父親の葬儀直後に気が抜けたのか、インフルエンザにかかってダウンしていた柴田さんは、絶句した。
「父を亡くして弱っていた私は内心、夫は、多少は優しくしてくれるんじゃないかと期待していたんです。ところが逆に強く出てきた。しかも、母にはわからないように陰で私に圧をかけてくるんです。さらに、父が亡くなって10日も経たないうちに、父の預金残高を取って付けたような優しい言い回しで一生懸命探ってくる。吐き気がしました。この先、私は母と兄を見送らなくてはいけないのに、コイツの面倒なんか見ていられない。どうせ1人で全部やらなくてはいけないなら、夫なんか要らないと思いました」
母親も夫も、周囲から自分が最優先にされないと怒り狂う。同類の人間だ。
だが、「この先、兄の具合が悪くなって私が身動きとれなくなったらどうなるんだろう」と考えたとき、おそらく夫は、柴田さんが普段通りに仕事と家事をこなした上で、兄の世話をするなら納得するかもしれない。だが少しでもミスしたり、家事がおそろかだったりしたら、容赦なく怒鳴りつけてくるだろう。兄のことを悪く言うかもしれない。逆に、母親にとって兄はかけがえのない息子だ。多少の我慢や妥協はできるはずだろう。
柴田さんの腹は決まった。
それから柴田さんは一切自宅へは帰らず、意図的に実家に寝泊まりした。今、柴田さんから離婚を切り出せば、夫は何か理由を探して、慰謝料を請求してきかねない。だから夫から離婚を切り出すよう仕向けたのだ。
1年半後、夫から離婚届けが郵送されてきたとき、43歳になっていた柴田さんは、飛び上がって喜んだ。