日本人に根付く「後で怒られたくない」という行動原理

日本人が何かしらの決断を迫られた場合、基本的には「後で怒られたくない」という心性が行動原理になることが非常に多い。

昔から不思議だったのだが、サッカーの試合、それこそFIFAワールドカップのグループリーグの試合であろうとも、日本人のフォワードはシュートを打たないことが多かった。さすがにレベルの上がった2022年カタール大会の日本代表では、そのような場面はあまり見られなかったが、昔はその傾向が強かった。

もっとも印象深いのは、2006年ドイツ大会のクロアチア戦だろう。右サイドから切り込んだディフェンダー加地亮が、ペナルティーエリア内で絶妙なパスをフォワードの柳沢敦に出した。相手キーパーは加地の方向に向かっており、柳沢はボールを靴の内側に軽く当てさえすれば、無人のゴールに入れるだけの「ごっつあんゴール」が獲得できるはずだった。しかし、柳沢は慌てたように靴の外側でボールを受け、あろうことかゴールの枠外にいるキーパーの股の間を通す形でパスを出し、ボールは場外に流れていった。試合後、柳沢は「急にボールが来たので……」とインタビューに答え、「QBK」というネットスラングが誕生した。

足元にサッカーボール
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当時、柳沢に対しては「プレースタイル的に『得点をお膳立てするフォワード』といった役割があるから、そんなにバシバシと点を取ろうとしなくていい」といった擁護の声もあった。だが、あの決定的な場面ではさすがに点は取るべきだろう。柳沢だけでなく、かつての日本代表のパス回しを見ていると、バックパスは多いし、とにかく自分のところに来たボールのことを「こんな厄介者はあっち行け! オレの責任外のところに行ってくれ!」と思っているのでは、とさえ感じることが多かった。

柳沢も「オレはゴールを決めることより、他の選手が決めやすい状況をつくるのが仕事だ」と考えていたのだろうか。だから「急にボールが来た」と釈明し、決められなかったことを正当化したかったのかもしれない。「ここで決めればオレはヒーローだ!」といったメンタリティではなく、「もし外したら、後で怒られる」といった思考が先立ち、ゴール前でとっさに消極的な動きをとってしまったのでは、とも思った。

何よりも「批判」を恐れる。だから絶好機を平気で逃す

柳沢に限らず、当時のサッカー日本代表にはここぞという場面で消極的な動きが目につく選手が多かった。

「少しでもミスをしたら怒られる」「後で苛烈なバッシングにさらされてしまう」などと、チーム全体がある種の恐怖感に支配されていた可能性もある。だとすれば、ペナルティーエリア内でボールを受けたフォワードやミッドフィールダーが、そこで自らシュートを打つより、「もっとシュートが入りやすそうな選手は他にいないだろうか」と探してしまうのもやむを得ないのかもしれない。もしかしたら柳沢も、ここまで素晴らしい機会が自分に来ると思っておらず、高速で走ってくる加地にナイスなお膳立てパスを出すことこそ最重要だと思ったのでは。まあ、非常に情けない姿勢だし、個人的にはまったく共感できないが。

「自分がリスクを背負ってゴールを外すより、確実性が高そうな選手に渡して得点の可能性を高めたい」とギリギリまで考えるのもひとつの選択だが、その0.何秒かの判断の遅れで、相手にボールを取られてしまうこともある。だったらさっさと強烈なシュートを打って、相手のキーパーやディフェンダーにボールを当て、そのこぼれ球を誰かが押し込む……といった判断のほうがいいのではなかろうか。

「サッカーの素人が何を言っているのだ!」と言われるかもしれないが、こちらはサッカーの素人ではあるが、サッカー観戦歴は40年を超えたれっきとしたベテランである。ゴール前でシュートを躊躇する様は、見ていてイライラするサッカーだ。トップレベルの選手でさえそうなのだから、その下のレベルだとさらにその傾向は強いだろう。小中学校レベルでは、よほど「無双」できる選手はさておき、自分がゴールを決めてヒーローになる喜びよりも、ゴールを外して戦犯扱いされることを恐れてしまうのではないか。