弱体化させられた「市場」という軸足
日経には優位性がある、と書いた。経済という専門を持っているからだ。歴史的に日経の軸足は「市場」である。マーケットだ。市場は経済の鏡と言われるが、日経という新聞はその市場の鏡の役目を果たしてきた。つまり、大企業や政府や特定の業界の利益を守るのではなく、資本市場の公正さを維持し、資本市場を発展させていく機能を担っていた。それが経済専門である新聞の不偏不党、公正中立ということであったのは、昔の縮刷版を見れば一目瞭然である。資本市場の成長とともに日経新聞が急成長を遂げたのは、半ば当然だった。
日経の編集局には「証券部」という部署がある。日経が市場に軸足を置いている一つの象徴のような部だ。私はそこで育った。機能は大きく分けて3つ。証券会社や取引所など「市場」そのものを取材するグループ、株式市場に上場する「会社」を担当するグループ、債券市場や金融市場を取材する「公社債」を見るグループの3つだ。
一番わかりにくいが象徴的なのが「会社」グループだ。上場企業を取材するが軸足は資本市場にある。市場が会社を適正に評価するための情報収集を担う。決算情報や会社のM&A(合併・買収)戦略、長期の経営計画などを取材する。日経には企業に軸足を置いて取材する「産業部」もあるが、この2つが揃って日経の強さがあった。違う角度の2点から対象を見ると立体視ができるようなものだ。
証券部は自由だった。上意下達の組織型取材ではなく、記者ひとりが60社近くを担当し責任を持つ。新人記者でも一国一城の主だ。会社担当に配属された若手記者は必ず「株主の金儲けの情報集めをしに新聞記者になったのではない」と不満を持つ。それに対してベテラン記者は「それは違う。正しい企業情報を集めることで公正な市場を守っているのだ」と言ったものだ。
だからオリンパスのような事件が起きたら、証券部記者は怒ったものだ。オリンパス一社の問題ではない。市場そのものの信頼を揺るがす事件だからだ。多くの証券部の先輩が、企業の不正を追及し、企業情報開示制度や会計・監査制度に大きな関心を持って取材してきたのはこのためだ。
ここ10年ほど経営陣は証券部を明らかに弱体化させてきた。それが主流派の非主流派潰しであったのかどうか、私には興味がない。小泉・竹中改革に「市場原理主義」のレッテルが貼られ、自由主義市場経済型の政策そのものへの批判が強まったここ5年は、さらに顕著だった。市場に軸足を置いていれば、既得権者ともいえる大企業や霞が関の神経を逆撫でするような記事を掲載することになる。当然、波風も立つわけで、それを嫌う幹部が増えたのだろう。
最近、日経の経営者は証券部を再強化すると言っているそうだ。だが縷々述べてきた立脚点を取り戻すのは簡単ではない。国内資本市場の衰退は政策による帰結だ。日経のレーゾンデートル(存在意義)が揺らいでいるのも、この「国のかたち」と無縁ではない。新聞を取り巻く歴史的な大転換と、市場よりも国家という政策の流れの中で、日経を再成長路線に導くには確固たる信念と経営手腕が必要だろう。日本経済が成長力を取り戻すためにも、経済メディアの再興が不可欠である。
※すべて雑誌掲載当時