失敗させることは重要
人がもっとも学ぶことができるのはやはり失敗経験からではないでしょうか。
小学校半ばくらいになれば、子どもは親に言われなくても、「あんなもの買うんじゃなかった」「あれを我慢しておけば、これが買えたのに」とわかります。
(私もこの記事を書きながら、小学生の頃、近所のプラモデル専門店で大型の戦車の模型を買ったものの自力で完成できず、後悔したのを思い出しました)
お年玉という普段は目にすることのない大金を手にし、気が大きくなって散財してしまえば、なぜこんなものを買ったのか後悔もします。次からはどうすべきか、子どもながらに考えるものです。
そうやって失敗に対する耐性、失敗から立ち直る精神力、失敗に学ぶ学習能力などを獲得します。
だから親から見れば子どもの無駄遣いに小言の一つも言いたくなりますが、無駄にしか思えない使い方だったとしても成長の過程で必要な経験なのです。
子どものうちは失敗といっても大した金額ではありませんが、大人になってからのお金の失敗はしんどい。その意味で、お年玉は失敗をするにはちょうどよい機会と言えるでしょう(そういえば給付金の誤入金を使い込もうとした若者のニュースがありましたが、大金への耐性がはぐくまれていなかったのかもしれません)。
「節約」は必要なしつけなのか
また、今さら言うまでもなく、お金は交換の道具であり、何かを成すための手段です。もちろん価値を保存したり保険としての機能もありますが、あまり日々を楽しめない生き方を強いないようにしたいものです。
お年玉やお小遣いに限った話ではありませんが、“節約貯金”をするとは「使えるお金を少なくする」ことであり、それは「選択肢を狭める」「できることを制限する」ことにほかなりません。
そのため、お金を使えばできたであろうさまざまな経験をしないまま日々を過ごすことになるわけです。
お友達と映画やコンサートに行って楽しむ。学校帰りにファストフード店に行っておしゃべりする。友達同士でキャンプに行く。バンド結成のために楽器を買う。お金を使えば、人生の楽しみの幅も深さももっと広がるのに、それをしないで貯金に励む。
こんな寂しい生き方ってあるでしょうか。
大人でもこういう人は多いですよね。家と会社の往復だけで何十年も過ごし、死んだときが人生でもっともお金持ちだったという笑えない話も耳にします。
特に日本人は節約貯金を美徳としていますが、可能性に満ちた多感な10代の子に「無駄遣いせず貯金しなさい」と言うのが本当に必要なしつけなのか、私には疑問です。