「実は、父は亡くなったのではありませんでした」

ここまで関係性のよい家族が、なぜケンカしたままのお別れになったのだろう? といぶかしんでいると、優子さまは孫たちを「向こうの部屋に行きなさい」といった手振りでその場から遠ざけ、お父さまの話を始めました。

安部由美子『もしも今日、あなたの大切な人が亡くなったとしたら』(青春出版社)
安部由美子『もしも今日、あなたの大切な人が亡くなったとしたら』(青春出版社)

「実は、父は亡くなったのではありませんでした。両親は離婚だったのです。その話を聞いたのはつい最近でした。そのことで口論になったのです。私が『お父さんに会いたいから、連絡先を教えてほしい』と言うと、そのときはすでに亡くなったあとだったんです。悔しいし、悲しいし……。『なぜ、早く言ってくれなかったの?』と母に怒ってしまったのです」

「母は泣きそうになりながら、こう言いました。『どうにもしようがなかったのよ』と。いつもならもっと言い返してくる母だっただけに、妙に悔やまれて気持ち悪いままなんです」

そう言ってため息をつく優子さまに、お兄さまが寄り添います。そして、実は母から聞いていた話があるのだと言って、お兄さまが話しはじめました。

「僕は聞かされていたよ。でも、お母さんから、優子たちには言わないでほしいと言われていたから言えなかったんだ」

そう言って、キリさまの写真を見ながら、「もう話すよ。いいよね? 母さん」と言って、話しはじめました。

亡き母が本当のことを言わなかった理由

「お父さんはほかに好きな人ができて、幼い僕らを置いて出ていったんだ。お母さんはそれでも、お父さんを好きでいつづけたって。そして、一人で僕たちを育ててくれた。僕たちの記憶の中に、美しい思い出としてお父さんがいるから、そのままにしておいてあげたいと思って、本当のことを言わないでいたって……。そんな母さんの気持ち、わかってあげられるよね?」

「優子、ケンカのことはもう忘れなさい。大丈夫、母さんはなんとも思っていないよ。母さんはいつも、『優子はありがたいよ、よくしてくれる』って話していたよ。『優子は近くに住んでくれて、ケンカしながらでも気遣ってくれる優しい子だ、ありがたい』ってよく言っていた。もう自分を責めなくていいよ」