「Made in Japan」だけでは成功しない時代
素材の特徴やメーカーの持ち味を表現するこうした「産地」のブランディングは、海外展開を見据える上でも、特にこだわりを極めようとしている分野だ。単なる「国産」「Made in Japan」では足りない。原料原産地や供給地域にある工場で生産し、全国に届けることができれば、それ自体が価値になる、とみる。
「名物のアップルパイも、ゆくゆくは北海道産の原材料にこだわり、北海道の工場でつくり、北海道産の商品として海外に出していきたい」と、今後の計画を明かした。
紀ノ国屋が大切にする商品開発の「軸」は、「高級なもの」ではなく、「毎日食べて飽きないもの」にあるという。
「話題のものに飛びついたとしても、人は古き良き時代の『おいしいよね』というベーシックなところに必ず戻ってくる。身近にある長く愛されているものを、作り手の考え方や形は変えず、原料を見直したりして少し上質なものにしていく。現代に合わせてどのようにリメイクするかを常に考えています」
同社が全国各地で素材の発掘やメーカーの開拓を急ぐのは、自社の成長のためだけではない。食品の開発を通して、年々担い手や技術が失われ、衰退していく国内のものづくり産業の現状に、強い危機感を抱いているからだ。
競合するのではなく、独壇場をいかにつくれるか
「日本にあるのは世界に誇れるものばかりなのに、後継者不足で廃業しているお菓子メーカーやお豆腐屋さんとかがいっぱいある。こうしている間にも、めちゃくちゃ価値のあるものが潰れていっている。売るところがなくなったらメーカーも潰れる。だからこそ、救い合う関係性を作っていかないといけないと思っています。そのために、紀ノ国屋は成長しなくてはいけない。この会社は人のために強くなっていかなければと思います。紀ノ国屋が日本の作り手、製造業が生き残っていくための環境の一つになれたらいい」と語る。
コロナ禍の内食需要の拡大で増収増益に沸いた食品スーパー業界も一転、人手不足や物価高、物流費高騰などに直面し、企業ごとの実力勝負のフェーズに入った。だがそれは、「勝つ」か「負ける」かではなく、「独壇場」をいかにつくれるかにある。組織の中の1人の“火種”と、それに呼応するように燃え立つチーム全体の熱量が、企業の存亡を分ける。
髙橋さんは、現在の種まきの成果をはかる一旦の区切りを、2025年と定めている。大阪万博の開催年であり、自身が60歳の還暦を迎える年だ。
「それまでにいろんな戦略を詰め込んで、走り続けます。世界の人に納得してもらえる『THE紀ノ国屋』ブランドを本気でつくれると思っているから、やり続けるだけ。この楽しみが奪われたら、僕は何もできないですから」と、豪快に笑った。