沖縄の販売会では、アップルパイ以外の商品でも全国トップの記録的な販売結果が次々と出た。おはぎやどら焼き、ドレッシング類などが「驚くほど売れる。逆に言えば売れ行きの悪いものがない。見ていてわかります。ここの地域の方々は、食に対する関心がものすごく高い」

こんな思いもよらない発見と出会いの連続が、紀ノ国屋スタッフの、まだ知らない地域への出店意欲を駆り立てるのだという。

「北野エース」から紀ノ国屋の立て直しへ

紀ノ国屋は東京都・青山を本拠地にする高級スーパー。日本で初めてショッピングカートやエコバッグを導入したスーパーとして知られるが、近年、高質なプライベートブランド商品を強みに、自家製の惣菜、パン、スイーツ、雑貨など多岐にわたる品揃えで認知度をさらに広げている。

2010年にJR東日本が買収して以降、従来の都心を中心とした路面店に加え、駅ナカ・駅ビルへの出店を進めてきた。神奈川や千葉など駅ビル20店舗のほか、この3年間で大阪や京都、広島、名古屋にも進出し、現在41店舗を展開している。

改革を主導する髙橋さんは、兵庫県のスーパー「北野エース」の出身。1988年にエースに入社し、本店店長、首都圏事業部長などを経て専務まで務めた。27年間にわたってスーパーのあらゆる現場で実践を踏んできた、プロ中のプロだ。2015年に退職したのを機に、紀ノ国屋買収後の展開に悩んでいたJR東日本から直接、立て直しのオファーを受けた。

高額商品が売れないまま放置されている

当時の紀ノ国屋は、表向きは上質なブランドイメージや高所得層の顧客を持っていたが、実態は赤字経営が続き、「店も昔からの流れで、ただ高額な商品が売れないまま置かれていた。ものをつくる力、売る力が欠落している状態だった」(髙橋さん)。

駅ビルの上質化を図りたいJR東にとって、集客エンジンを担う高品質スーパーを自社で展開しようという狙いがあったはずだが、想定以上に改革の難易度が高いことに頭を抱えていた。髙橋さん自身、「競合他社にいながら、紀ノ国屋がうまくやれていないことを憂いていた」というほど、当初から“難工事”になることは十分予想できた。

それでも複数の企業からの誘いを断り、改革の最前線に立つこと決めた髙橋さん。「好きにやらせてもらえますか」と条件をつけた上で、「結果重視」「単年契約」を引き受け、「3年で黒字化できますか」という経営幹部の問いに、「大丈夫です」と断言して応じた。

背中を押したのは、3つ年下の弟のこんな一言だったという。「赤字の会社なら、兄貴に向いている。兄貴なら、絶対おもしろいことができる」