「働かないおじさん」はなぜ生まれるのか。パーソル総合研究所上席主任研究員の小林祐児さんは「出世以外にモチベーションを持てないような人事制度に構造的な問題がある。これを解決しない限り、社内の中高年を『妖精さん』などと皮肉に眺めている若者も、いずれ同じ道を歩むことになる」という――。

※本稿は、小林祐児『早期退職時代のサバイバル術』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

公園のベンチで新聞を読む男性
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中高年ビジネスマンのモチベーション欠如は構造問題

日本企業の人事担当者と話しても、多くの人事が「出世の天井が見えてしまった中高年のモチベーションが上がらずに困っている」「なんとかモチベーションが上がる刺激を与えられないか」という問題意識を持っています。

しかし、そうした意識を言葉通りに受け取っていても、問題の根っこにある本質は見えてきません。今から確認していきますが、中高年になってからモチベーションが欠如する要因の根本には、出世「以外」の動機づけを無化させてしまうような、中高年になるまでの人事管理のあり方そのものがあるからです。それを、「出世意欲がなくなっている」という「今」の心理状況だけに注目するのは、構造自体を所与のものにしているために、表層的です。

日本企業におけるキャリアの歩み方を日常的なものにたとえれば、それは小・中学校で多くの人が経験する、「校内マラソン」に似ています。

入学(入社)した年ごとに「ヨーイドン」の合図でキャリアを一斉に走りだし、「同期」はライバルでもあり、励まし合う仲間としても形成されます。マラソンなのでペースはゆっくりしており、レースが中盤にさしかかるにつれて集団が分かれ、最後は一握りの人たちだけがトップを目指して走り抜いていきます。

このマラソンは、スタートが同じですぐに大きな差をつけないという意味で「平等主義的」な体裁を保ちます。しかし、後半戦から最後にかけては当然ながらきっちりと差がついて、順位が付きます。「平等主義的」であると同時に「競争主義的」です。しかも、多くの場合そのレースは生徒の手あげ制による「任意参加」ではなく、その学校に所属している限り「強制参加」です。