台湾を「自転車先進国」にした劉会長の実績
だが、中村は自転車に関しては素人同然だった。日本語がぺらぺらの劉はやんわりと異を唱えた。
「にぎわいから入るのは間違っているよ。自転車は人々に健康をプレゼントする、生きがいをプレゼントする、友情をプレゼントする。ここに切り口はある。にぎわいは後から付いてくる」
会談中にジャイアント会長が使ったキーワードは「新文化」だった。彼の考えでは、自転車は単なる移動手段ではなく、環境にも配慮したライフスタイルと一体化したツールなのである。
「新文化」は実体験に基づいている。劉は2007年に周囲の反対を押し切り、15日間かけて台湾を一周する長距離サイクリングツアーにチャレンジ。73歳でありながら、ざっと千キロメートルを走り切って台湾人に感動を与えた。
これをきっかけに台湾全土にサイクリングブームが巻き起こった。その後、台湾は自転車専用レーンを急ピッチで整備するなどで「自転車先進国」「サイクリング先進国」に躍り出た。
「君も一緒に走ってくれるんだったら考えてもいいかな」
会談は30分間の予定だったのに「新文化」をめぐって話が弾み、すでに3時間を超えていた。ジャイアント会長に来日してもらい、しまなみ海道を盛り上げてもらわない手はない、と中村は思った。
「ぜひ日本に来て、しまなみ海道を走ってみてください」
「実は半年後に日本へ行く予定なんです」
当時、劉は「Green World on Wheels(自転車でグリーンな世界)」をテーマに掲げ、世界各地で長距離ツアーを計画。台湾一周を成功させた勢いに乗り、すでに中国(走行距離1600キロメートル)とオランダ(同500キロメートル)でもツアーを決行していた。
当時を知る関係者によれば、次の舞台として日本が浮上し、北海道が有力候補地として挙がっていた。知事はセールスマンシップを発揮し、単刀直入に思いを告げた。
「ならば予定を変えてしまなみ海道に来てくださいよ」
劉はすぐに応じず、「君も一緒に走ってくれるんだったら考えてもいいかな」と条件を付けた。
「ずっと付き合いますよ! 約束します!」
すると、劉はその場で役員を呼び付けて命じた。「半年後の日程変更!」
2人は初会談で意気投合し、その後、サイクリングを通じて固い友情で結ばれることになる。今でも家族ぐるみの付き合いをする間柄にある。