インフル同時流行となれば目も当てられない

そうなれば、すでに治癒している患者さんが、もはや診療の対象でなくなっているにもかかわらず組織の要請にしたがって受診することになり、発熱・有症状者外来枠を埋め、真に診断治療を要する人の受診機会を奪ってしまうことになる。さらに再度の検査や証明書の類いを求める人が相次ぐ事態となれば、医療機関にかかる負担は今以上に膨れ上がることは必至だ。

さらにこの冬、インフルエンザの同時流行となった場合には、目も当てられない事態となる。新型コロナウイルス検査、インフルエンザ検査、診断書、治癒証明書、登校許可証、再検査……。これらの事務手続き等に医療現場が忙殺されることになれば、その他の医療は当然ながらおろそかにならざるを得ない。それこそ「新型コロナウイルス以外による犠牲者」が増えてしまうことにもなるだろう。

コロナ禍前と比較して発熱者を診療する初期医療機関が減ってしまっている中で、このような業務まで増えるとなったら、どうなるか。これらの業務を忌避する医療機関が増えれば、発熱者対応医療機関がさらに減ってしまうことになる。そうなれば発熱者は限られた医療機関に殺到することになり、さらなる逼迫を巻き起こすという、まさに絵に描いたような悪循環が回り始めることは明白だ。

インフルエンザシーズンを前に、新型コロナウイルスの感染拡大を促すような緩和策に舵を切ることが、いかなるリスクと混乱をもたらし得るのか、この想像力と危機感を持てる為政者は、この国に果たして存在しているのだろうか。

「社会経済活動との両立」と聞こえはいいが…

感染リスクの残存を認めつつ、それでもなお自宅療養期間の短縮を拙速に押し通した理由、それは何か。そこには「労働者を早く仕事場に復帰させるため」以外の理由は存在するだろうか。この拙速な“政治判断”には「段階的に一般的な感染症に近づけていくべき」「Withコロナに適応した、パンデミックからの『出口戦略』を早急に策定すべき」という日本経済団体連合会の提言も影響を及ぼしているのではないのか。

「社会経済活動との両立」と聞けば聞こえがいいが、その本態は「労働者を休ませないで一日も早く職場に戻せ」「感染防止策は自分たちで行え」という使用者に歓迎される政策、政府の責任放棄そのものではないのか。

それだけではない。政府の「ウィズコロナ政策」に連動するように保険業界も方針を転換し、生命保険大手4社は「全数把握見直し」のタイミングに合わせて入院給付金支払い対象を高齢者など重症化リスクの高い人に限定する見直しを行うことを発表したのだ。