ヨーロッパでは国境線と言語の分布が一致していない
【増田】ロシアはウクライナへ侵攻する理由のひとつとして、ウクライナ東部で迫害されているロシア系住民を保護するためだ、と主張しています。2014年からウクライナ東部では、親ロシア派武装勢力と政府の間で紛争が始まりました。その紛争のきっかけのひとつはウクライナ政府が現地で「ロシア語の使用の制限」を決定したことだといわれています。反発を受けてウクライナ政府は決定を撤回しましたが、言語というものが紛争の発端になり得るくらい、民族によって重いものであることを示しているのは確かです。
90%以上が日本語話者である日本にいるとなかなか実感が湧きませんが、ヨーロッパでは歴史的経緯もあり、国境線と言語の分布が必ずしも一致しているとは限りません。
戦火や内戦から逃れるために他国へ向かう難民や、経済的豊かさや暮らしやすさを求めて他国に移住する移民が多い現在、元々のルーツである言語や文化を守るのか、それとも移住先の国家が指定する公用語に同化していくのか、国家としてそれを求めるのかどうかは、多くの国々にとって重要性の増す課題になりつつあります。
日本にもあった言語とアイデンティティーの問題
【増田】日本でも、言語を巡る葛藤がないわけではありません。私が難民取材を始めた30年ほど前、取材した神奈川県横浜市と大和市の間にある公営住宅、通称「いちょう団地」へ行きました。当時、この辺りには1975年のベトナム戦争終結後に国を逃れてきたインドシナ難民が多く住んでいて、その子供たちが多く通う公立小学校が彼らの母国語の授業をするというので、取材したのです。
インドシナはベトナム、ラオス、カンボジアと、タイとミャンマー両国のマレー半島の部分を除く地域を指す、豊かな文化を持つ地域です。日本で教育を受けた難民の子供たちは日本語を話すことはできても、日本語を十分に話すことのできない親との間でコミュニケーションが取れなくなるという問題が生じていました。
また、子供自身も「自分たちはインドシナ人なのか、日本人なのか」というアイデンティティーの問題を抱え始めていました。両親ともにインドシナ人でも、日本語を覚え、日本で育つ子供たちは、考え方も、文化も「日本人」的になっていく。暮らしたこともない、ラオス、カンボジア、ベトナムについては、ルーツではあっても、習俗や文化が分からなくなってしまう。
そこで学校側が「やはり自分のルーツにかかわる言葉や文化を知ることは必要なのではないか」と考えたのです。
【池上】言語とアイデンティティーは密接に結びついていますよね。