ウクライナにおける言語の使用制限

【増田】ウクライナは親露派のヴィクトル・ヤヌコビッチ大統領が2014年にロシアに亡命し、その後、大統領になったのは反露派のペトロ・ポロシェンコ氏でした。ポロシェンコ氏はウクライナ語の使用を国内で徹底しようと、2017年には「小学校5年生からウクライナ語教育へ移行せよ」という方針を打ち出しました。

しかしウクライナ国内にはロシア系住民のほか、ハンガリー系住民もおり、そうした人たちにとっては、「自らのルーツにつながる言語を教えるな」と言われているに等しい。

さらには、ハンガリー内で「ウクライナに住むハンガリー語の話者が、公の場でウクライナ語を話すよう強要されている」事実を知った人たちからすれば、「自分たちと同じ言語を使っている、同じルーツの人たちが、隣国で少数派として虐げられている」という意識になる。

それが爆発すると、デモなどの大規模な抗議運動に発展しますし、政治が利用しようと思えばできてしまう面もあるでしょう。

罰則規定も…スロバキアでも言語の使用制限

【増田】今年6月に私が東欧で取材した際に手伝っていただいたカメラマンの方はルーマニア人なのですが、現在はハンガリーに移住しています。ルーマニアで四半世紀にわたり独裁体制を敷いたニコラエ・チャウチェスク大統領(1918〜1989年)に嫌気がさして移住を決めましたが、元々のルーツがハンガリーだから、ハンガリー語を話すことができたことが大きかったと言います。

オーストリア・ハンガリー二重帝国時代(1867~1918年)は、現在のウクライナやチェコ、スロバキア、ルーマニア、セルビア、クロアチアなどの国の一部もハンガリーの領土でした。そのため、ハンガリー語を話し、ハンガリーの文化を持った人々が今も各国にとどまっているのです。

【図版】オーストリア・ハンガリー二重帝国時代のハンガリーと現代のハンガリーの領土比較

スロバキアでは人口の約7.8%にあたる約42万人がハンガリー人のため、ハンガリー語話者も多く暮らしています。しかし時の政権の政治色によって少数民族の母語に対する扱いも変わります。

たとえば、1995年にナショナリズムの強い政権下で制定された「国語法」という法律ではスロバキア語を「国語」と定め、「スロバキア語は他の言語よりも優先される」(第1条第2項)、「公的機関は、その職務の遂行において、国語を使用しなければならない」(第3条第1項)、「国語の教育は、すべての小学校と中学校で義務付けられる」(第4条第1項)とされました。従わないと罰金も科せられるようになりました。