プーチンを知る上で重要な「ユーラシア主義」という野望
ウラジーミル・プーチンがまだロシアの大統領代行だった2000年、「ロシア 東側諸国の新しい展望」と題された記事で、このように言っている。
「ロシアは自らをユーラシアの国であると認識してきた。私たちはロシアの大部分がアジアの中に位置しているという事実を忘れたことはない。しかし、私たちがこれまでその事実を有効に活用してこなかったことも確かである」
つまり、これからのロシアはヨーロッパではなく、アジアの方を向いた政策に切り替えていく、という姿勢がここで示されたのだ。アジアへの歩み寄りはある計画の始まりを意味する。
ヨーロッパに対抗するような新たな勢力をアジアと協力して作り上げる、という計画だ。ヨーロッパともアジアとも異なる新たな枠組み、ロシアを中心としてヨーロッパとアジアにまたがる地域、つまりユーラシア地域をロシアが支配するという、「ユーラシア主義」のことである。
なぜシベリアやロシア極東地域の発展を最優先したのか
13年後、大統領としての第3期目が開始した日、プーチンはその新たな一歩を踏み出す態度を表明している。
「私たちは長く困難な道を共に歩もうとしています。私たちは自分自身や自分たちの力に自信を持ち始めました。これまで私たちは国を強く育て上げ、大国としての誇りを取り戻したのです。全世界がロシアの復活を目の当たりにしているのです。(……)私たちはあらゆる手を尽くしてさらに前進してまいります」
いったい彼は何を目標として前進していくというのか。それは、「リーダーとしてユーラシアを束ねていく」ということだ。しかし、この後プーチンが具体的にどのような計画を打ち出すことになるかなど、誰にも予測できてはいなかった。
一人プーチンのみがそれをほのめかしていたのである。
「これから数年間のうちに起こることは、さらにその先、数十年のロシアの行く先を決定する重要なものごとです」。
プーチンの壮大な計画が示されることとなるのは、その年の終わりのことである。プーチンはこの時、シベリアやロシア極東地域の発展こそが、「21世紀ロシアにとっての最優先事項」であると語った。
こうして、東欧、アジア、極東・シベリアというユーラシア地域をまとめるリーダーとなる野望が示されたのだ。