「こんなことが自分に起きていたのか」

その後、司法試験に合格してある法律事務所で仕事を始め、二人目の子どもも生まれて、ようやくクローゼットに押しこめていた過去の残骸とじっくり向き合う時間ができた。端から端まで記憶をたどって、こまごましたことをパズルのように結びつけてみた。ラリーに巧みに操られていたことがはっきり見えてきたのは、そのときだった。

こんなことが自分に起きていたのだとわかると、悔しくてたまらなかった。よくもここまでいいようにされていたものだと思うと、やりきれなくて気持ちの整理がつかなかった。強い、並みのことでは動じない、アフリカ系アメリカ人の私が。そのことで自分を激しく責めた。どうしてわからなかったのか、なんてばかだったんだろう、と考えてばかりいた。これでずいぶんとセラピストのお世話にもなった。

最初のころは、悪いのは、オリンピック・ドクターの地位を利用して子どもたちにつけ入ったラリーであって、自分ではない、とわからなかったのだ。危ないことがないように子どもの自分を護ってくれると信頼していた大人に、ラリーに限らず、アメリカ体操連盟の関係者たちにも、こんなにも裏切られていたのだ。私を護ってくれる立場にいたはずの人間たちなのに。

競技の準備をする女子体操選手
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トップ体操選手の私の存在が利用されていた

私は、私たちが年端もいかない女の子だったときに、まんまと私たちと仲良くなり、信頼させたラリーの手口のあれこれを思った。ラリーはよく、好きな男の子はどうのとか、プライベートな生活のことを訊いてきた。私たちはみんな、男子チームのメンバーに恋するようなこともほとんどなかった。男の子のポップシンガーバンドも同じだった。みんなラリーのことを女の子仲間の一人のように思っていた。子どもだったからわからなかったのだ。大人の男がこんな会話に興味を持って女の子の集まりに入りこんでくることが、どれほど不適切なことなのか。

ほかにも、あのときもいいように操られたんだな、と思い当たる折々の記憶が戻ってきた。ある全米大会予選で、ラリーの「治療」が終わってトレーニングルームを出ようとしていたとき、別の体操選手が入ってきた。ラリーはその選手に、私もこの「治療」を受けたところだけど良くなったんだよ、と言った。当時私はアメリカでトップの体操選手の一人だった。女の子は、わあすごい、という顔で私を見た。いまならわかる。その子に自分を信頼させるために私を利用したのだ。そう思うと、心底気分が悪かった。