妹ジョーダンの被害は“背中の痛み”が始まりだった

私、ジョーダンは、10代前半でカーロイ・ランチのトレーニングが始まったときに、あの性暴行が始まった。容赦ない着地のくり返しや反復のストレスで、とうとう背中をひどく痛めたときだ。世界的に有名な医師のラリーなんだから、医者として最高の技術を知っているはずだ、と私は思っていた。あの身体に指を入れるやり方は、私が負った特定の怪我を治療する方法なんだろうと思った。だからみんなに同じことをしてるなんて、夢にも思わなかったのだ。

ターシャにも同じ「治療」をしているのも、まったく気づかなかった。二人のあいだで話題にしたこともない。性虐待というものにも無知だった。それはもっと暴力的な、強姦ごうかん魔に押し倒されるようなことであって、いつも診てもらっている医師が、良くなるように治療してくれるふりをしながらできるようなことだとは思っていなかった。

いまなら、性虐待は、身近にいる人間にねらわれることが多いとわかる。でもあのころの私は、怪我をしても、お腹が空いていても口に出すことができない異常な世界に生きている子どもだった。早い時期から、痛い、と口に出すようなへまはしない、と私は学んでいた。一度それをやって、ランチの裏にある体育館に追いやられて一日中閉じこめられたことがある。あれは最悪だった。「優秀者リスト」から外れるくらい怖いことはなかったから。

「同じ被害を受けていた」誰も口にしなかった真実

何年も経って、虐待の告発のことを最初に聞いたときは、わけがわからなかった。ラリーが誰かを傷つけるなんて想像できなかったから。

当時私は結婚を控えて式の準備に忙しかった。ニュースで詳しいことを読んで、知り合いの体操選手と個人的に連絡をとりあって、みんなほとんど同じ目に遭っていることがだんだんわかってきた。そして、ああそういうことだったのか、とはっきり理解した。ラリーの手が私の膣の中を動いていたのは、医者の治療とは関係のない目的のためだった。耐えがたい嫌悪感だった。

最初は、正直に言うと、蓋をして無視したかった。でもスキャンダルの報道は加熱する一方だったから、私はターシャのところに行って、「ねえ、ラリーは私にもいやな触わり方をしたんだけど」と言ってみた。おたがい、相手も同じことをされていたと聞いて愕然とした。つらい会話になった。

いま体操のコーチをしている私は、これを機会に、こんな虐待が30年も続くことを許した体操界の風潮を変える力になりたいと思う。先日コーチしている女の子たちと座ってゆっくり話した。「なんとなくいやな感じがしたり、不安に思うことがあったら、口に出してそう言うのよ」と。どんなことでも話したいことがあったら、私のところに来たらいいし、そして、自分には声を上げる力があるんだ、ということを女の子たちに知っておいてほしい。言いたいことを大人に伝えることが子どもにとってどれほど難しく、あるいはそうする自信が持てないことが多いかということを、私も知っている。子どもたちが安心できる、励まされて前向きになれる環境をつくって、注意深く見守りたい。