「筋肉を緩めるための医療行為」始まりは15歳だった

私、ターシャは、あの性暴行が始まったとき15歳だった。カーロイ・ランチでのある出来事のあとだった。私たちはみんな、開脚トレーニングの「オーバースプリッツ」をやらされていた。身体を普通のスプリッツ(開脚前屈)をより深く押し下げて、片脚、ときには両脚を上げる。コーチのベラ・カーロイにものすごい力で上から押されて、私はやっとのことで涙をこらえていた。その直前に、ベラがジェイミー・デントシャーを怒鳴りつけて「赤ん坊」呼ばわりするのを見ていたから、あんなふうに怒鳴られたくなかった。

次の日、股の付け根が痛んでのろのろ歩いていた私は、ラリーのところへ行かされた。ラリーは私をマッサージして、素手のまま膣に指を入れた。筋肉を緩めるための医療行為だよ、と言いながら。

尊敬されているお医者さんだったし、もう何年も前から自分のことを知ってくれている相手だったから、私はそれを信じた。もう一つ、体操をやっていると極端に世間知らずになってしまうことも忘れてはならない。性虐待というもの自体を私は知らなかった。生活のほとんどの時間を体育館で練習に費やすと、デートも友だちづきあいの時間もない。男の子とのセックスの経験もなかった。みんなそうだった。

女子体操選手
写真=iStock.com/sportpoint
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5日間の宿泊「治療」の申し出に感謝していた

17歳のとき、アキレスけんを痛めて、ほとんど歩けないほどひどくなった。ラリーは私の母に、あまり忙しくないときが1週間ほどあるから、と言った。そしてあのびっくりするような申し出をしてくれた。ミシガン州ランシングの自宅で、その1週間私の治療をしてあげようというのだ。

ラリーは私に、ランシングまでの飛行機のチケットを買ってくれるかどうか、お母さんに訊いてみて、あとはうちで家族と過ごせばいいから、と言った。本当になんとか回復したくて焦っていた私は、それをわかって配慮してくれたにちがいないこの申し出に感謝した。この偉いドクターが、これだけの時間を私のために割いてくれる。なんてすばらしい、自分もトップアスリートの仲間入りだ、レブロン・ジェームズ並みの扱いだわ、と思った。そして私は出かけて行って、ラリーとその妻、子どもたちと一緒に5日間過ごした。みんなで家族のように迎えてくれた。家族、信頼しているおじさんを訪ねたようだった。

ラリーは、毎日私を診てくれた。マッサージ台と医療品の棚が並んだ自宅の地下室のこともあれば、ラリーの職場の一つだったミシガン州立大学のトレーニングルームのこともあった。MRI、鍼、電気の神経刺激、超音波とひととおりやって、決まってマッサージをした。まずアキレス腱から始めて、じわじわと脚の上のほうに進んで、最後には指を挿入する。「みんなつながってるからね」とラリーは言った。身体のある場所に圧力をかけると、別のところが良くなるということだった。この性虐待の「治療」を、ラリーは毎日、朝、昼、晩3回やった。