※本稿は、アビゲイル・ペスタ『THE GIRLS』(大月書店)の序文「進もう、手をつないで」を抜粋、再編集したものです。
性虐待を告発されたのは“信頼できる友だち”だった
初めて聞いたときは信じられなかった。ラリー・ナサールが、あの有名なオリンピック・ドクターが、年端もいかない女の子たちに、自分の上位の力関係を悪用して、下位の者を性的に侵害する行為である性虐待を働いていたとして告発された。なんのこと? と二人とも思った。ラリーが? まさか。
とってもいい人だった。話を聞いてくれる、やさしくしてくれる、こっそりグラノーラ・バーやらのおやつを手にすべりこませてくれる人。体操の世界の、あの人を人とも思わないような指導と訓練のさなかで、ラリーは私たちにとって信頼できる友だちだった。
私たちは、ラリーが自分たちにも性虐待していたということが、すぐにはピンとこなかった。のみこむまでに時間がかかった。大人になってから、子どものころに虐待に遭っていたとわかるのは、変な気持ちだった。ましてそれが、自分のことを一番に考えてくれるはずの、いつも診てくれていた医者だったのだ。そんなことが自分たちに起きたと言われても、理解できなかった。
体操をやっていて、私たちはずっと、強くなれ、と教えられてきた。精神的にも肉体的にも強くて、自分が誰かのいいようにされるなんてありえない、と自信を持っていた。アスリートの中でも体操選手は最高に強靭だった。
コーチと医師は選手たちの世界そのものだった
最初とても信じられなかったのは、私たち姉妹だけではない。子どものころにナサールから性虐待を受けていた女性の多くが、自分がそうされていたことがどうしても信じられなかった。
こう言うと驚かれることが多い。世の人は、私たちがみんな、虐待されていることをわかっていながら黙っていたのだと思うようだ。でもほとんどの子どもは知らなかった。相手はオリンピック・ドクターだ。そして、医者としての治療をしているんだ、と私たちに言っていた。私たちはそれを信じた。
私たち姉妹は、コーチや医師を信頼して大きくなった。コーチと医師というのは、私たちの世界そのものだったのだ。
よちよち歩きのころに体操を始めて、母と一緒に地元ラスベガスのマミー・アンド・ミー教室に入った。母からは、サッカーとかティーボールとかテニスとか、いろんなスポーツをやってみるのよ、といつも言われていた。母自身もかつては本格的にスポーツをやっていて、ウィンブルドンまで進んだテニスプレイヤーだった。でも私たちは体操が大好きだった。母に連れられてテニスに行ったときも、結局、側転や後方宙返りばっかりやってコート中を跳ね回っていた。体育館に行きたくてたまらなかった。とにかく体操がしたかったのだ。