アメリカのマーケティング研究の偏り

――日本でも似た状況は広がっているんですか。

石井 日本は、どういうわけか、そういう色彩は薄いですね。お隣の韓国ではもうアメリカ流の数学モデルや分析が主流になっていきているらしいけれど、日本ではそうはなっていない感じがします。東大、一橋大、神戸大から、MITやハーバードに留学する人たちが多いせいかもしれません。藤本隆宏さん、延岡健太郎さん、小川進さんなど日本の経営やマーケティングにおける研究のリーダーたちは、かなり意識して、アメリカの研究の制度化の流れに乗らないようにしているといった方がいいのかもしれません。

■藤本隆宏 東京大学大学院経済学研究科教授、東京大学ものづくり経営研究センター長
1955年、東京都生まれ。79年東京大学経済学部卒。89年ハーバード大学ビジネススクール経営学博士号取得。専攻は技術・オペレーション管理、経営管理。

『日本のもの造り哲学』
日本経済新聞出版社/本体価格1600円





■延岡健太郎 一橋大学イノベーション研究センター教授
1959年広島県生まれ。81年大阪大学工学部精密工学科卒。同年、マツダに入社。93年、MIT(マサチューセッツ工科大学)スローン経営大学院で経営学博士取得。99年、神戸大学経済経営研究所教授。2001年、博士(経営学)(神戸大学)取得。

『価値づくり経営の論理――日本製造業の生きる道』
日本経済新聞出版社/本体価格1900円





■小川進 神戸大学大学院経営学研究科教授
1964年、兵庫県生まれ。89年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期修了。98年、MITスローン経営大学院(博士課程)で経営学博士取得。2000年、神戸大学で博士(商学)取得。

『イノベーションの発生論理 新装版』
千倉書房/本体価格3600円




石井 だからと言って、アメリカのマーケティングの学会で、この『マーケティング思考の可能性』の中で評価しているエスノグラフィーや社会構築主義がないかというと、そうでもないんです。私の場合、こうした思考は、一つには哲学書や思想書を好きで読んでいるうちに関心が湧いてきたということもあるのですが、もう一つは、アメリカのマーケティング方法論研究の流れにも拠っています。アメリカでのそれらの研究は地味ですが、レベルは高いんです。そうした研究も残っているのは、さすがと思います。だだ、研究者の割合から言うと、アメリカの研究者の割合は経済学など自然科学的研究の流れに偏っています。

■エスノグラフィー
ethnography
人びとが日常生活を構成していく方法を研究する学問。特定の民族(たとえば日本人)や集団(たとえば企業組織)の文化・社会に関する具体的かつ網羅的な記述。民俗誌。

■社会構築主義
社会の出来事は、自然法則や歴史的な経緯で決められているものではなく、今、存在している人間たちの互いの行動が作用して動いているという考え方。
――マーケティング分野へのエスノグラフィーの導入がアメリカで少ないのはなぜでしょうか。あの多民族国家で商品を売ろうと思ったら、そしてグローバルに売っていこうと思ったら、「世界にはいろんな文化や社会がある」というエスノグラフィーの考え方をマーケティングに導入することは、あってもおかしくないと思うんですが。

石井 元々、そういう研究が出て来たのはアメリカなんですけどね。P&Gはエスノグラフィーを非常に意識してマーケティングをやっているようです。この会社は、まさにマーケティングのモデルのような会社です。市場調査にも多額の予算をかけています。もともと、そうした伝統の下、モデルやデータを扱って分析することが得意の会社だったのですが、今はそれと同等のウエイトでエスノグラフィーも使っているといいます。

これは私の勝手な推測だけれど、P&Gはエスノグラフィーや観察という手法をマーケティングに活かすことを、花王をはじめとした日本企業から学んだのではないかと。ビジネスの世界では、日本企業は、調査の手法としてそうした技法を用いる傾向が強いんです。たとえば、花王という会社は、シャンプーを開発するときに、二泊三日でホテルにお客さんと一緒に泊まって、一緒に生活する中で、シャンプーがどのように扱われるかを観察するといったことを続けている会社です。