亡くなられた安倍晋三元首相に対して、国内における弔意には温度差があるようです。多くの場合、安倍氏の生前の政治的姿勢に対する賛否が、そのまま弔意の強弱になっているように見えます。その全体を平均すると、国を挙げての弔意であるとか、静粛な服喪というのとは程遠い印象です。
一方で、私の住んでいるアメリカもそうですが、G7諸国に加えてQUADの豪州とインド、台湾そして他のNATO諸国における同氏への評価は非常に高いです。中国とロシアに関しても、弔意の表明としては丁重なものがありましたし、弔意の表明が難しい環境にある韓国でも尹大統領は日本大使館への弔問を行っています。
そこには、かなり顕著なコントラストがあります。理由としては、自国民の視線と、国外からの視線の距離の違いがあります。例えば、オバマ米大統領は、アメリカ国内においては任期の8年を通じて、激しい賛否両論の中にありましたが、日本での印象は良好なまま推移した、そんな感覚の違いが考えられます。
ですが、今回の安倍氏の死去というニュースに対しての、内外の反応の違いは、そうした視点や距離感の違いだけではないようです。では、アメリカが現地時間の7月8日に速やかに半旗を掲げ、ブリンケン国務長官とイエレン財務長官を急遽、派遣してきたとか、メルボルンのオペラハウスに日の丸が投影されたというのは、どうしてなのか、そこには3つの理由があるように思います。
ダメージコントロールに成功
第1の理由は、日本国内では現在でも残っている「安倍氏=ナショナリズムの煽動者」というイメージについて、これは内閣府と外務省の連携プレーだと思いますが、ダメージコントロールに成功したということが挙げられます。
ダメージというのは、実際に困難な局面があったということです。最初は、2007年4月、第一次政権の際に、ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)との日米首脳会談のために首都ワシントンを訪れた際のトラブルです。当時のブッシュ政権は、安倍氏の一連の言動に歴史修正主義的な姿勢を指摘して懸念を表明していました。
具体的には、いわゆる慰安婦問題で、強制連行ではなくトラフィッキングだったと主張することが、国の名誉回復になるという種類の言動は、ワシントンでは全く同意する声はありませんでした。この時は、安倍氏もその周囲も問題の深刻さに気づいて言動を修正しました。そればかりか、第二次政権になってからは、安倍氏自身が国連の「戦時の女性の人権」プロジェクトなどに積極的に関与して「汚名返上」を行い、その効果もあったのだと思います。
もう1つの局面は、2013年12月に現職総理として靖国神社への参拝を行った際です。これは、支持者向けの求心力を補強するのが狙いで、連合国に対する叛意はないというのはアメリカも承知していたようです。オバマ政権は反応せず、東京駐在のキャロライン・ケネディ大使が遺憾の意の表明を出すだけで済みました。この2つの経緯の結果、逝去にあたって悪い意味でのナショナリストという評価はほとんど出なかったのです。
第2の理由は、これは現在進行形の問題ですが、ロシアのウクライナ侵攻、そして中国の権威主義への傾斜という事態を受けて、アジアでもパワーバランスの維持には神経を使う状況があります。そのような中で、ほかでもない日本は東アジアにおいて、今もなお経済的なプレゼンスを維持し、また外交面では西側同盟の一員としてブレずにいる訳です。その姿勢を確立した政治家として、G7など同盟国の間では信頼が厚かったわけです。
同時に、そのように困難な状況だからこそ、清和会の伝統に従ってロシアとの外交チャネルを途切らせなかったこと、小泉政権が中断させた日中の首脳間外交を復活させたことなどで、ロシア、中国からも一目置かれる存在となったのだと思います。